パウロ
パウロ
ユダヤ名は「サウロ」、ギリシャ名が「パウロ」
パウロはユダヤ教の一派でファリサイ派のユダヤ人、地中海沿岸のタルソス出身です。
市民権をもっていました。
市民権を持っているという事はどういう事でしょう。
パウロはローマ市民権を持っている両親から生まれ、厳格なヘブライ人の教育を受けて育ちました。
若くして有名な老ガマエルの門下となり、聖書を学び律法の信奉者となった。
ユダヤ教の教育を受けたサウロにとってユダヤ教を歪めるキリスト者たちは脅威だったでしょう。
「大祭司」の許可をもらいキリスト者がたくさんいると聞いてダマスコの町に向かいます。
その頃の「大祭司」はユダヤ教において最高の絶対的権威者で神の意志を民に告げ、民の代表として神殿にて儀式を行いました。
サウロは率先して弾圧に乗り出し、教会や家に押し入り牢に送り込み、キリスト教徒を迫害しました。
迫害は激化の一途をたどり、ついに最初の殉教者がでました。
これをきっかけに使徒たちはエルサレムから逃亡し、逃亡先で福音を伝えていきます。
サウロはダマスコに向かう途中、復活したイエスと出会いイエスの光に打たれます。使徒行録9:3~8
サウロは3日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。使徒行録9:9
その時に神の力を知ったのでしょう。
イエスと出会った後、回心し、キリスト者(アナニア)より福音を学び、洗礼を受けます。
キリストを信じる信仰共同体の一員になりました。
回心したパウロは、キリスト教を宣教する一員になったのです。
パウロ自身「使徒として召された」(ローマの教会への手紙1:1)と言っているが、イエスの死後に信仰の道に入ってきたため、イエスの直弟子(12使徒)ではありませんでした。
しかし、12使徒たちの命により、異邦人への宣教を任されています。
彼は弟子たちと宣教方法で対立しながらも、アンティオキア教会を拠点として、3度にわたる宣教旅行を敢行して、イエスの教えを説いて回り、ユダヤ教の一派にすぎなかったキリスト教を世界宗教へと変貌させていきました。
パウロは異邦人キリスト者の人々のために福音活動を行い、波乱万丈な人生を歩みました。
64年にネロ皇帝による、大迫害に合いその頃キリストのためにローマで殉教したのではないか、と思われる。
パウロの回心
聖パウロ