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待降節第4主日(マタイ1.18-24)イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった・・・ 2022/12/18 

                 

 きょうの福音はイエスの誕生に関して、ヨセフを中心に書かれている箇所が読まれました。マタイ福音書は「イエス・キリストの系図」として、アブラハムからヨセフまでの系図を伝えます(1.1-17)が、16節は「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」となっています。ヨセフとイエスの間に血のつながりはありません。それでもヨセフはきょうの箇所を通して、信仰によってイエスの父としての役割を引き受けていくことになります。

 一昨年12月から昨年の12月まで、教皇フランシスコは聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年経ったことを記念して「聖ヨセフ年」とすることを宣言されました。

その時、わたしたちは教会の保護者聖ヨセフについていろいろ考えたのですが、いまクリスマスを直前にしてまた聖ヨセフについて考えることができるのは嬉しいことです。ヨセフ年に教皇は、イエスの養父としての聖ヨセフのやさしさやあふれる愛、神からの召命への従順さ。質素な労働者としての姿、目立つことのなかった生き方について触れています。また聖ヨセフは「執り成しの人、苦難の時に支え、導いてくれる人」でしたと教皇は記しています。

 

 わたしはヨセフの沈黙と天使の言葉に素直に従う態度に感心します。マリア様にしろ、聖ヨセフにしろ、神の計画に従うためには、自分の計画や夢を捨てること、自分に死ぬことが必要だったのですね。きょうの福音に「みよ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」という箇所があります。インマヌエルはヘブライ語で「神は我々と共におられる」の意味です。幼子はイエスと名づけられ、新訳聖書の他の箇所でも一度も「インマヌエル」と呼ばれたことはありません。マタイは「インマヌエル」をイエスの「呼び名」ではなくて、イエスの「本質を表す名」だと言っているのです。

 

 わたしたちは「インマヌエル」であるイエスをいつも見つけ出すことができるように、世の中をよく見ていかなければなりません。マタイ25章40節では「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言っています。マタイ26.26-28では「取って食べなさい。これはわたしの体である」とご聖体のことを言っています。マタイ18.20では「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言っています。キリストを信じる仲間の中に、イエスはおられます。

マタイ福音書の一番最後の言葉は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28.20)です。

ご降誕から始まったイエスの現存は2000年以上経った今でもずっと続いていきます。

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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