
「I.C.U」
長尾俊宏神父
みなさんご復活祭おめでとうございました。
市内の私たちの4教会も今年は「分散ミサ」ではありましたが、共にお祝いが出来てよかったですね。今は別れの時、出会いの時の4月になりましたが、昨年の今頃は・・・。
今、修道院の庭も白から緑に移り、クロッカスもあちこちに咲き、木々も芽を出しています。あと数日中には庭もグリーンランドになりそうです。
昨年の4月15日に中村神父さん、私もこちらの修道院に着きました。間野院長は夕方には新任地の名寄へ出発し、夜からは6人での新生活が始まりました。
こちらでは6月1日から市内の「分散ミサ」が始まり、この間、修道院では小聖堂で「修道院ミサ」の自分たちだけのミサで信者さんの皆さんは参加しませんでした。幸いに、その後大聖堂で「みなさん」とのミサが始まりました。
私は地方の小さな教会でしたので、毎日、毎日曜日教会であたりまえのようにミサが行われていましたが「コロナ渦」の中で大きな街の大きな教会の皆さんは、この間、不安の中、心配の中、前に向かってご苦労されていたようですね。そして今、「分散ミサ」の中、教会の皆さんの頑張り、班分けをし、ミサ参加者のチェックをし、消毒し、使用のスリッパをふいてー今までの教会の中で体験したことのない状況の中で皆さんのお互いの一言ひとことの会話の中の思いやりを感じ、感謝しています。
そして今から、これから I.C.U I (We) Can Ultra 私たちは、もっと多く、深く、もっと遠くを見つめて共同体との絆、社会との絆を求められている時です。イエス・キリストの復活のこのよろこびあふれた知らせの喜びと希望が自分と出会うすべての人々の中にメッセージを伝えることが出来ますように。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
