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神の話す現代語はなんですか?

Modern language spoken by God ?

 

それは出会いと出来事です Encounters and Happenings. 

戸田三千雄神父

 「出会い」は、“パーソナルな関係と出来事”から生まれます。それは神の話す現代語です、そう学んできました。Encounters and Happenings. 

 

私の影響を受けた出会いには、山辺剛神父さまがおられます(存在しています。)私はニューヨークに滞在中でした。そこに日本から送られてきたニュースレターに“New Franciscan way of Life”「新しいフランシスカン的生き方」として山辺神父さまが紹介されていました。そこで、私はフランシスカンとしての「在り方・生き方」を教えられた思いでした。出会いです。1971年12月のことです。

 

当時、山辺剛神父さまは、労働者の町の山谷の床屋さんの家に下宿して、労働者として働いていました。当時「労働司祭」として、労働で福音を働きかけていた方々がいました。小さくされた人々に原木賭けている男女の修道者、司祭がいました。New Franciscan way of Life。忘れられない思い出です。

 

豊田耕作さんのこと

 

「長崎の鐘」の歌をご存知ですか?映画になりました。藤山一郎さんが歌っていました。その歌詞のことです。「長崎の鐘」を兄弟ミカエル豊田耕作さんの葬儀ミサで歌ったことがあります。「あ~あ~長崎の鐘が鳴る」です。

豊田耕作さんは、韓国から来た人です。奥さんも修道会に入会して、韓国に戻りました。

ミカエルさんは日本に帰化して、豊田耕作と名乗りました。畑で良く働いた兄弟、ブラザーです。入院した時に、私はお見舞いに行きました。その時に、豊田さんは病室を変えるようにと看護師さんに言われて、ストレッチャー(担架、たんか)に乗せられました。私も同行しました。彼が私に「もうですか? もうですか?」というのです。初めは良く分かりませんでした。そして「もう死ぬのですか」言っていることが分かりました。私は「まだわからないよ。お祈りしようと言いましたら」、彼はすぐに主の祈りを口にしました。

 

部屋を変わったことを見届けてから、北浦和修道院にもどって来ましたら、山辺神父さんが、ちょうど出て来られて、今度は自分が行くと言って、お見舞いに行きましたが、豊田耕作さんは帰天していました。人の最期です。主の祈りを唱えながらの豊田耕作兄弟の最期も、忘れられない出来事です。

葬儀ミサの時に、歌って欲しい聖歌、賛美歌がありますか?

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