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神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ 

                     ルカ20.27-38

山本 孝神父

 

 カレンダーの残りが僅かになり、今年ももうすぐ終わりがきます。再来週の日曜日が、王であるキリストの祭日で、年間最後の主日です。その次の週からは待降節に入ります。

 今日の福音はサドカイ派の宗教指導者たちが、イエスに復活ついて論争を挑んできた話です。当時ユダヤ教にはファリサイ派とサドカイ派というグループがあり。サドカイ派は祭司や貴族からなる党派で保守的で現実主義的、合理的な考え方をしました。彼らは霊や天使の存在、死後の裁き、復活などを否定して、復活を信じるファリサイ派と異なっていました。

 死者の復活の考えは、もともとユダヤ教にはなかったのですが紀元前2世紀の迫害と殉教の時代に「神に忠実に生きようとすればするほど、この世で苦しみを受け、中には殺されていく人もいる」こうした状況の中で「死を越えて神が救いを与えてくださるという希望、復活の希望」がユダヤ教の中に入ってきました。

今日の第一朗読のマカバイ記の頃でした。

福音では、サドカイ派の人たちがわざと複雑な話を持ち出してイエスを困らせようとしましたが、イエスは復活のいのちはこの世のいのちの延長線上にあるものではなく、まったく違うレベルのいのちである。それは神によって生きるいのちであると言います。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」「生きている者の神」とは生きている人間の支えとなり、希望となり、力となる神なのです。現実の人間の苦しみと喜びに関係なく、人が儀式を通して出会うだけの神は「死んだ者の神」になってしまいます。永遠のいのちとは唯一の神であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(ヨハネ17.2-3)

 先日、ここの教会の林雄司さんが亡くなり、寂しくなりました。わたしたちはイエス・キリストを知っており、新しいいのちでまた再会できることを知っています。11月は死者の月です。亡くなった人たちのために祈り、ひとり一人がよく生きて、みんなで向こうで再会しましょう。

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