
親を偲んで祈る
「親の小言と なすびの花は 千にひとつのムダもない」
親のことが分かるときがあります。うるさいと思っていた親のあれこれが、実は愛情だったと気がつくことです。
たいていの人にとって、親がいなくなってから思い当たることが多いと思います。
母がある日言ったのです「私が死んでから分かるよ」と。この言葉の背景を思い出せません。
「またはじまった」ぐらいに聞いていたのだと思います。
忠告だったかも知れません、
息子の私は母を無視したのでしたが「ほんとうにそうだ」と思い出すことが度々です。「「親の小言と冷や酒は、あとになって効いてくる」とか。親の気持ちが分かるころには、親はもういないのです。悔やむ心を生かして祈りましょう。
今度は、自分が愛情をこめて、小言を言ってみましょう。
以下の提案をダイナミック・メモリーで思い出してください。
◎ 親の小言で、あとになって有益だったと気がついたことがありますか。
○ あとになって、親のことが分かったと、感じたことがありますか。
★ 私は、愛情と信仰を持って、人に忠告をしたことがありますか?
教会のおやじさんから、小言をいただいたことがあります。教会の神父さんはほんとうのことを言ってくれた人、親父みたいな友人です。教会の司祭や修道者には、家族がいませんので、率直に話せる立場にあると思います。
☆ 司祭や修道者の方々で、思い出深い人がありますか。
★ 忠告や指導を受けて、有り難かったことを覚えていますか。
主も小言を言います。「私の言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている」(マタイ7:26)。
私は聖書の言葉を良く聴き、深く味わっているでしょうか。
「すべての預言者が神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする」(ルカ13:28 )。ワー大変!
み言葉を口にしましょう。
「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて
語りなさい」(エフェソ4:29)。
○ 人に伝えたい聖書の言葉は何ですか? 有益なみ言葉を贈りましょう。
◎ 慰めとなったみ言葉を思い出して、友人にも勧めましょう。
次頁の聖書の言葉に聞いて、味わってみます:
1ヨハネ 5:13 永遠の命を得ていること
13 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを
悟らせたいからです。
14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対す
るわたしたちの確信です。
15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既
にかなえられていることも分かります。
16 死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はそ
の人に命をお与えになります。
これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、
神に願うようにとは言いません。
17 不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。
18 わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった
方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。
19 わたしたちは知っています。
わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
20 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。
わたしたちは真実な方の 内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の
神、永遠の命です。
21 子たちよ、偶像を避けなさい。
注と提案 カレンダー・メモリーの反対、ふと思い浮かぶ思い出、心の動き、思い当たることがありま
したら、そのことで神と対話してください。
郷愁や自己反省ではなく、覚えた心の動きで、うれしい、有り難い、ごめんなさい、そして
決心もしましょう!
フィレモンへの手紙 この短い手紙を読んでみます。 愛と信仰の書簡です。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
