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「神と遊ぶ」
「汚れなき悪戯」には、孤児のマルセリーノが修道院に立ち寄った女性から、同じ年頃の子供、マヌエルがいると聞いて、一緒に「マヌエール」と呼びながら、探す場面があります。
その探しているマヌエル少年はいませんでした。
それから、マルセリーノは少年の名前を口にしながら、一人で遊ぶようになります。
『見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれるこの名は゛神は我々と共に
おられる”という意味である』(マタイ1:23)
マルセリーノは、マヌエル少年に話かけながら、一人遊びをするようになります。
そして、屋根裏で十字架のイエズスに出会い、話しかけます。
ある時はパンとブドウ酒を差出し、「お腹すたでしょう?」、ある時は毛布を持ってきて「寒くない?」
ある日、少年のママに会いたいという願いにキリストが応えます。
名を呼ぶ事が、インマヌエルの神に導いていきます。
「目に見えない方を見ているように」(ヘブライ11:27)
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」
(マタイ18:3)
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