
神は存在するすべてのものを愛される方です
そして私、私たちをも相手として選ばれました。
24・あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
25・あなたがお望みにならないのに存在し、あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。
26・命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」 (知恵の書11:24―26)
アダムとエワは、神が相手として選ばれた人間です。
人間は神との対話を通して生きる者になりました。
そして隣人として、存在する(神の造られたもの)とも関わり合いながら、共にいきるものになりました。(「地球環境の一体性」)
関わり合う生き方
― 霊性(Spirituality)を育てるために ―
人間(キリスト者→無償の愛)の霊性の秘訣は関わり方と愛情表現、受け止め方にあります。
すべてのものとの関わりを、アガペの愛に基づいて実現します。それで関わりを絶つことは、罪にもなります。
人間性の成熟を妨げるものが、無関心、無感動です。罪はいうまでもありませんが。
カインは「知りません。私の弟の番人でしょうか?」(創世記4:9)と冷たく答えて、アベルとの関係を無視する言葉を神に向けました。
「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ」(マルコ5:7)と汚れた霊にとりつかれた男は叫びました。
関わりを断ち切って自分一人で生きていこうとするところに、罪の根源があります。
人間は時と場所に応じて関わる相手を変えますが、それによって表現が変わります。
神との関わりは「祈り」とよばれ、人間を相手にするならば「愛情、友情、関係」になります。
相手を思い心を通わせながら、時と場所を移しながら、神との関わりを続けるときに霊性を深め「人間らしく」なります。
しかし「ぶらず」に、自分らしくなるのです。
また隣人との関わりの中で、愛情と友情に支えられて、人間性を回復します。
ありのままの自己価値にも目覚めます。
・「あなたは神に選べれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙虚、 柔和、寛容を身につけなさい。
愛はすべてを完成させる絆です。
「私は不親切で冷淡でありながら、奇跡を行うよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたいと思います。
(「マザー・テレサのことば」)
★ それでは人生歴で祈ってみましょう
「愛は伝染する」
自分の存在と関わりによって、相手も自分も変えられるのです。
課題は自分の感受性です。
その感受性を磨きましょう。
・私が今の自分になるために、良くも、悪くも、影響を与えた人々を思い出してください。
(ダイナミック・メモリー)
・時期や場所に従って子供の頃から順を追って、思い出を手繰り寄せる。
(カレンダー・メモリー)
「私が今日あるのは、神の恵みによるものです」(Ⅰコリント15:10)

2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
