イエスの12人の弟子たち

 

12使徒

イエスの教えが広まると、彼に従う弟子たちも増えていきました。

こうした中から、イエスはペトロをはじめとする、12人を選抜して、穢れた霊を追い払う力を授け各地方への伝道を命じました。

弟子の多くはガリラヤの出身地で、後にイエスを裏切る事になるユダのみがパレスティナ南部の出身です。

12人の弟子の名前はトマス、シモン、タダイ、マタイ、小ヤコブ、フィリポ、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ナタナエル、ユダです。

その12使徒の中には様々な身分や考えの者がいました。

例えば、最初の弟子となったペトロらは、ガリラヤ湖の漁師であったし、シモンは、ユダヤの独立運動を過激に展開している熱心党の一員でした。

マタイは当時のユダヤの人々に憎まれていた徴税人でした。イエスがペトロを伴って収税所にわざわざ訪ねて行って「私についてきなさい」と呼びかけ、弟子にした人物です。

この12人の弟子たちは、常にイエスのそばにいて直接手ほどきを受け、後に12使徒と呼ばれるようになります。

「マタイ福音書9:9~13、10:1~15」

「マルコ福音書3:13~19」

「ルカ福音書6:12~16」など。

 

                                                                      (参考資料:名画と聖書:船本弘毅監修)

シモン

 

シモンはイエスの弟子になる前は、ローマの支配に抵抗する熱心党のメンバーだった。シモンはローマ人を屈服させられる指導者を探しており、その姿をイエスに重ね合わせていたのかもしれない。

 キリストの磔刑後エジプトに伝道し、その後ユダ(タダイ)とともにペルシアやアルメニアで活動し、そこで殉教したといわれる。

彼を描いた絵画には、鋸が描かれているものが多い。

タダイ(ユダ)

 

 ユダ(タダイ)に関する伝承は定かではないが、小ヤコブの兄弟あるいはイエスの親族だったといわれる。イスカリオテのユダと区別するため、「ヤコブの子ユダ」または、「イスカリオテでないユダ」と呼ばれている。ユダという名前が嫌われて「忘れられた聖人」と呼ばれた。

 タダイはバルトロマイとともにエデッサ(現ウルファ、トルコ南東部)やアルメニアに宣教したといわれる。アルメニア使徒教会は、彼らによって建てられた教会と伝えられている。

マタイ

 

 マタイは町の徴税人で、ユダヤ人社会からのけ者にされていた。徴税人とは、ローマ帝国から徴税業務を請け負った者で、決まった額を当局に納めなければならなかったが、余った分は自分の収入になった。そのため、徴税人は取り立てられるだけ取り立てようとするため、住民からは嫌われていた。

 イエスは収税所にいるマタイに「弟子になるように」と声をかけ、彼は仕事を捨てて従った。

 彼が「マタイの福音書」の著者である。キリストの死後、エルサレムの教団内に留まり、その後エチオピアあるいはトルコで殉教したといわれる。

フィリポ

 

 フィリポは、イエスが「私についてきなさい」とはっきり命じた最初の弟子である。彼はエチオピアの女王に仕える宦官に福音を伝えた。その宦官がエチオピアに戻り教会を設立した。エチオピアや北アフリカには、かなり早い時期にキリスト教が普及している。

その後フィリポはトルコ西部で宣教を行った。ヒエラポリスの神殿に住みついていた大蛇を退治し、蛇にかまれた大勢の人々の命を助けた。

彼はヒエラポリスに埋葬された。

ヤコブ(小ヤコブ)

ゲネザトレ湖畔であるベトサイダの生まれ。

母のマリアは、イエスの御母と親戚関係にあるから、イスラエルの習慣上「イエスの兄弟」と呼ばれていた。

初代教会において、聖ヤコブは主の兄弟として大きな権威を有し、一同の尊敬をうけていた。

キリストがご復活後、彼に別に現れたこともあった。

信者たちからだけではなくユダヤ人皆から、ひとかたならぬ尊敬を受けていた。

モーセの律法を厳重にまもり、毎日エルサレムの神殿に詣でて、不断に同国民の改宗を祈っていた。

伝説によれば、この絶え間ない祈りの結果、彼の膝はらくだの皮のごとくなっていたそうである。

そのため、ヤコブは同時代のキリスト信者とユダヤ人の両方から、「義人」すなわち聖人と仰がれた人として、当然エルサレムの司教職に最適の人物でした。(初代エルサレム司教)

 

 新約聖書「ヤコブの手紙」の著者ともいわれている。エルサレムの神殿の屋根から突き落とされ、こん棒でたたかれて殉教したといわれている。彼を描いた絵画には、こん棒が多く描かれている。

【ヤコブの手紙】 「行いの伴わない信仰は死んだものである」という表現で有名。

トマス

 

 復活したイエスは、トマス以外の弟子が集まったところに現れた。その場にいなかったトマスはイエスの復活を信じようとせず、「あの方の手の釘の跡に、この指を入れてみなければ、また、この手をわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない」と言い張った。8日後イエスはトマスの前に現れ、「あなたの指を私の手とわき腹に入れてみなさい」と言った。トマスは復活を信じた。

トマスは、イランからインド方面に伝道した。南インドにはトマスが設立した教会がある。西暦68年~75年ごろ、殉教しチェンナイ(旧マドラス)に葬られた。

 1522年、ポルトガルはチェンナイを支配し、サン・トメ教会やサン・トメ要塞を建設した。サン・トメとは聖トマスのこと。

ヨハネ 

 

ヨハネは大ヤコブの兄弟で、最初にキリストに従った使徒の一人でペテロやヤコブと共にオリーブ山の祈りの時にもキリストと行動を共にしています。洗礼者ヨハネとは別人です。

12使徒には珍しく天寿を全うしました。

12使徒で最も若い人物です。                  

ペトロ

 

ペトロは漁師でヘブライ名はシモン、ペテロ、ケファともいわれる。12使徒の最長老でリーダー的存在。ガリラヤ湖で弟アンデレと漁をしている時イエスに「人間を漁どる漁師に」なりなさい。」とに声をかけられ、最初の弟子になった。イエスは岩を意味するペトロというあだ名をつけた。

 

 イエスが逮捕された時、他の弟子達は官憲の追跡から逃げた。ペトロは官憲に捕まりイエスのことを3度訊ねられたが、私は知らないと言い通した。彼は初代教会の指導者となった。彼はローマで布教していたが、AD67年、皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。彼はローマのサンピエトロ大聖堂に埋葬されている。初代ローマ教皇。

(クオ・ヴァディス:主よ、どこに行き給うか?)
 ペトロは迫害が激しいローマを逃げ出してアッピア街道を歩いていると、反対側から来たイエスに出会った。「主よ、どこへ行かれるのですか?」と聞くと、「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて恥じ、死を覚悟してローマへ戻った。

アンデレ

 

アンデレはペトロの弟で、元は洗礼者ヨハネの弟子だった。彼は、黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラ(Patras)でX字型の十字架で処刑された。アンデレが処刑されたX字型の十字架は「アンデレの十字架(セント・アンドリュー・クロス:St.Andrew's Cross)」と呼ばれ、スコットランドの国旗(青地に白)やロシア海軍の軍艦旗(白地に青)になっている。彼は漁師の保護者であり、スコットランドの保護者である。また、東方教会(ギリシア正教)の初代総主教とされている。

ヤコブ(大ヤコブ)

 

 

 大ヤコブの弟、ガリラヤの漁師の子。イエスを洗礼した洗礼者ヨハネの弟子。ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。気性が荒いことでヤコブと共にイエスから「雷の子」というあだ名を付けられた。  使徒の中で唯一殉教せず、エーゲ海のパトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した。

【ヨハネの黙示録】 迫害されているキリスト教徒を慰め、激励するために書かれた書簡。キリストの再来、神の国の到来、地上王国の滅亡などが記述されている。これはヨハネが神からの啓示を受けて書いたものといわれ、人類の終末が近づいてくる様子を描写している。

バルトロマイ

 

 別名ナタナエル(Nathanael)、フィリポのすすめでキリストと出会い、5番目の弟子となった。

バルトロマイについては聖書ではほとんど語られていません。

アンデレに連れられてイエスに出会った時、彼は「生え抜きのイスラエル人」と呼ばれています。

インド、ペルシャ、ゲルマニアを宣教して歩き、アルメニアで伝道活動をしていたが、捕らえられて殉教しました。

通常は髪の黒い、髭をたくわえた中年の人物として描かれています。

解剖学の象徴となり、多くの医学院で見られるようになった。

 

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