
2025/8/31 山本孝神父
ルカ14.1.7-14(誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる)
わたしたちは何かの集まりでどこに座っても自由な場合、帰りにすぐ出られるように端の席を選んだりします。聖堂の中ではたいていの人はいつも、だいたい同じような場所に座っていると思います。その場所が落ち着くからなんでしょうね。わたしは何かの式典で席が指定されている時は仕方がないのですが、そうでなければ堅苦しくない楽しい場所に座っていたいです。むかし信者さんの結婚式で偉い人ばかりの席に座らせられて窮屈だったことを思い出しました。その時のお婿さんが博士号をもっている大学の研究者だったのです。披露宴の出席者はほとんど仲間の研究者や大学の教授たちでした。そしてお客さんの誰もが、「新郎は優秀な成績で大学を卒業し‥‥」と褒めていないことに気づきました。その時、本当に優秀な人の場合は、世間でよく使うお世辞は言わないのだと分かりました。
イエスはファリサイ派の議員の家の宴会に招かれていて、少しでも上席に座ろうとしていた人たちを見て、神の国では上も下も金持ちも貧乏人も差別がなくなると言いました。人を招く時はお返しのできない人を招けば天に宝を積むことになるのです。わたしは身体が不自由なためいつも人にお願いすることがあります。部屋の掃除や洗濯、お風呂に入れてもらうにも、それから片手しか使えないので、ファスナーが付いている衣服を着るときに、他にりんごの皮を剥いてもらうようなことやペットボトルの蓋を開けてもらう時にも人にお願いしています。それでいつも車椅子の背中のポケットに飴やお菓子など何か入れています。手伝ってくれる職員にはそれが仕事なんですが、「ありがとう」と言ってちょっとした物を渡すと喜んでもらえます。わたしはいつも本当に人のお世話になって生きています。鈴木秀子シスターの「人はいつか死ぬのだから」小さな「気づき」は人生の恵みという本の中に、『ほんとうの謙虚さとは、「そうだこのままの自分でいいんだ」と思う気持ちから生まれます。いまの自分を認め、自分らしさを愛するーーこれがほんとうの謙虚さです。わたしたちは、人生に何を求めているのでしょうか。それは幸せになることです。誰もが幸せになるために、この世に生まれてきたのです。あなたが幸せでいれば、まわりの人によいエネルギーを与えます。あなたが笑顔で、心に余裕があり、落ち着いて穏やかであれば、あなたのそばにいる人は誰もが心地よくなります。何も言わなくても、ただ一緒にいるだけで豊かな気持ちになります。』とこんなふうに書いています。わたしは年をとって身体が不自由になり、何もできなくても、それでも神さまに大切にされて愛されていると考えて幸せな気分になっています。
いまの世界には権力を持って偉そうに振る舞っている指導者がたくさんいます。でも神の国では、死に至るまでへりくだった(フィリピ2.8)イエスの生き方やイエスの心をもっていた人こそ偉大な人になるのです。*(5)
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
