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-生活の中で祈るために-

 

   お祈りと信仰とは、正比例する関係にあります。つまり信仰の度合いが、お祈りにも現れるのです。

 

 同時に、お祈りが、信仰をもあらわにします。信仰の知識もおろそかに出来ませんが、信仰の体験抜きにはわからないものがあります。

 

 信仰体験というむつかしいことと考える人もあるでしょう。でも、表現するのがむつかしい「何か」があるのです。また「それ」と気がつかないこともあります。お祈りをふり返ってみることで、確認できることもありますから、以下のメモを参考にしてみてください。

 

1.信仰の内容(教義・キリストについての知識)と信仰の体験(実感し

  ていること)との区別をします。

  キリストについての知識(to know about Christ)とキリストを知る(to know Christ)ことの違いを知りましょう。

 

    どのような時に信仰の体験がありますか?(心の琴線に触れるような

  と)自然を通して感じる心の動き、また人間関係での心の通じ合い

 (共感・共有)は?

 

2.生活の中で、バランスはとれていますか?

  人間として必要な事柄(食事や睡眠など)があります。

  それとは別に日常生活の中で私を動かしているものは何でしょうか?

  私自身ですか、それとも誰か別の人(友人など)や別のもの(お金・

  仕事・流行など)

 

  神を信じる人間としての、私の生活のバランスは、何に基づいている

  のでしょうか?

 

3. 神(仏・無・神秘・超越者・生命の根源)の存在を信じて居ること

  が前提です。

 

  わたしは頭で知っているだけですか、神とパーソナルな関係を持つこ

 とが出来ると知っていますか。経験していますか?

 

4.祈りたいとの望みがありますか?

  神とのパーソナルな関係を願っていますか?

  お祈りは神からの恵みです。恵みを祈ります。

  恵みを「求める気持ち」が大切です。

 

5.「体験」は普通、心の中で自覚します。「それ」と五感でとらえるよ

  りも、内面的なものが多いと、私は考えます。

  事実、深い心の動きは、沈黙の中で起こりますから。

猫の祈り2.JPG

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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