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教会にいのちを与えるもの

 

                          山本 孝 神父

 10月22日は、2013年にフランシスコ教皇によって列聖された、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の記念日だった。ヨハネ・パウロ二世は、1920年ポーランド生にまれ、58歳で教皇に選出され、2005年に84歳で亡くなるまで、26年間教皇として在職し、歴史に残る数多くの業績を残された。空飛ぶ教皇と言われ、世界129ヵ国を歴訪した。日本には1981年2月に来日し、広島・長崎では「戦争は人間の仕業です。戦争は死です」と演説して核兵器の廃絶を訴えた。在任中に14の回勅、15の使徒的勧告、45の使徒的書簡を出し、147回の列福式、51回の列聖式を行い、マザー・テレサなど多くの聖人を誕生させた。

わたしは聖ヨハネ・パウロ二世が晩年、教皇在位25年目に出された回勅「教会にいのちを与える聖体」と、その翌年に出された使徒的書簡「主よ一緒にお泊りください」。それにもう一冊「おとめマリアのロザリオ」の三冊の本をいつも身近に置いて大切にし、何度も読み返している。わたしは、これらの文章により、司祭が最も大切にすべき事を教えてもらった。「聖体が教会生活の中心であり頂点であるならば、それはまた司祭の役務の中心と頂点でもあります。・・・聖体のいけにえは司祭の全生活の中心であり根源です」。

聖体とミサは、教会にいのちをあたえるもの、教会の神秘の核心にある事柄を要約し、教会を築くものだ。ミサが大切にされなければ、教会のいのちは消えてしまう。そして司祭の第一の務めはミサを立てることにあるのだ。

それからロザリオの祈りは、歴代の教皇や多くの聖人たちが推薦し、ヨハネ・パウロ二世も愛した祈りだ。以前、わたしは、2005年に、教皇ヨハネ・パウロ二世が亡くなった時、ブエノスアイレスのベルゴリオ枢機卿(現フランシスコ教皇)が追悼文のなかで、「わたしは、ヨハネ・パウロ二世のロザリオを祈る姿をみて、毎日15連のロザリオを唱えるようになった」と書いている記事を読んだ。その時からわたしは、忙しい教皇たちが毎日15連のロザリオを唱えているなら、もっと時間のあるわたしは教皇に負けないよう、一日25連(5環)は祈ろうと決心した。ミサとロザリオの祈りは、わたしの司祭生活の最も大切な力の泉だ。わたしは、毎月の初金曜日、午後1時から2時まで、5条教会で聖体賛美式を行っている。前出の回勅でも、「司牧者が、自らも模範を示しながら、聖体礼拝の実践を奨励する」ことを薦めている。聖なる聖体のうちに現存するキリストのみ前で、しばしのあいだ、キリストと語らい、礼拝し、心からの愛を表す人が増えて欲しいと願っている。            

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