へりくだる者
うぬぼれや自己満足は誰にもあることですが、その「おぞましさ」には気がつきません。
なぜ、どうしてそうなるのか、深く考えないのも、共通しています。
しかし、福音から、神に嫌われることが「うぬぼれ」とわかります。
遠くギリシャ神話にも登場する人間の本性です。ナルシスという少年が泉に移る自分の姿に見とれ、その姿に恋いこがれ死ぬという物語があります。水仙の花は彼の化身と言います。ナルシシズム、自分の容姿に陶酔する(自分自身を性愛の対象としようとする)傾向。自己中心の愛。ギリシャ神話のナルキッソスにちなむ精神分析用語)。
自己陶酔。日本文化では、自分に惚れると書かせています。だれにもナルシスズムがあると言えます。
ファリサイ派の人は、大変立派です。しかし「出来過ぎ」ています。このような姿勢、態度では、神を頼ることを難しくさせます。
「うぬぼれ(ペイソー)」とは「自分自身を頼りにすること」とあります。出来過ぎれば、心の中で考えることが問題になります。「過ぎたるは及ばざるがごとし」お話しになる背景には、人間が無意識のうちに抱えている罪の問題があると言えます。
もう一人の場合「へりくだる」者です。人間に求められるのは、この「へりくだり」なのです。これはイエスが身をもって示した姿勢です。アダムの正反対の態度です。信仰者には、謙そんと感謝が一番です。それが信頼しているしるしです。神の前の人間の基本的な姿勢です。同時に人間関係においても、ふさわしい態度です。
たとえ話しが「自分は正しい人間だと自惚れて、他人を見くだしている人々に対して」なされています。人間に求められるのは、謙そん、謙虚なのです。これはイエスが身をもって示した姿勢です。
それが信頼しているしるし、さらに感謝になります。自分は、ちゃんとやっていると考えているなら、用心することが必要です。
どうしたら「へりくだる」者になれるでしょうか。失敗を認めることからはじまります。過ちや罪を犯すことはだれにもあります。そこから学ぶことが大切です。人間の弱さの背後には、人類の罪がからんでいるからです。イエスは「心の中で、……祈った」態度を問題にしています。それは罪が心から、悪い心がさせることを知っておられるからです。「心の中」を問題にしている個所がたくさんあります。