
初期キリスト教時代、信徒は粗末な衣服をまとい、塵と灰の上に座り、それを頭にふりかけながら、断食を行ったとあります。
その後、灰に座る代わりに額に灰をつける習慣にかわりました。
灰の水曜日(または灰の日)と呼ばれています。
今年は2月14日(水)でした。
灰の水曜日をもって、典礼暦年(教会カレンダー)では、四旬節にはいります。
四旬節はもともと、洗礼の準備期間でした。
復活徹夜祭に新しく洗礼を受ける洗礼志願者の準備期間として、イエスが公生活の始めに砂漠で40日間断食をされたことにならい、40日の祈りと節制をする期間として始められたものです。
やがて、すでに洗礼を受けた人も洗礼を受けた時の志をもう一度新たにするために、全教会で行われるようになりました。
8世紀頃の教会はもっぱら節制の期間と考えられていましたが、第2バチカン公会議後は洗礼準備期間として再度取り上げ、四旬節に読まれる聖書朗読と典礼は洗礼志願者に向けたものにしました。
四旬節はキリストの死から復活への過越しの神秘にあずかる信仰を確認する時なのです。
四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の初段階をとおして、すでに洗礼を受けた信徒は、洗礼の記念と償いの業をとおして、過越の神秘の祭儀にそなえます。
四旬節の心を大切にしながら、この40日間をすごすように教会は勧めています。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
