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馬と犬のお話

「神の瞳に映った自分を観る」

 散歩をしていた時、アメリカのカリフォルニア州のマリブで出会った馬の思いでを大切にしています。

お近くに馬はいませんか?

ふと目を上げると、馬の姿がありました。

庭の柵に沿って見ていると、馬がやってきました。長い鼻面が迫ってきました。恐れずに馬の顔を見ていると、馬の目の瞳の中に自分の姿が映っているではありませんか!

そこで私は神の愛をイメージさせる言葉が思い浮かびました。

「神の瞳に映った私を観る」です。

馬の目の、その瞳に映っている自分の姿に、ふと気付いたことに感謝感激!です。

 ロヨラの聖イグナチオは、神の愛、それも受け身の愛の体験を土台にして、自分の不信仰と罪を瞑想しました。それが、『霊操』の「原理と基礎」です。つまり「神の愛」です。愛されている自覚が無いなら、自分の弱さや罪深さを素直に認めることは出来ません。元気も湧きません。

​ ある日、「うちの犬のドッギーのためにミサをしてくれませんか?」と頼まれました。留守番をしていた教会で出会ったレディーの頼みに、「もちろん奥さま、させていただきます。」

てっきりご主人のことかと思い違えて、ご愁傷様ですと、言おうとしましたが、口が回りません。

お悔やみを申し上げます。と言えばよかったのに・・・若気の至りでした。

そしてドッギーが「ワンちゃん」のことだとわかり、犬のためにミサはできませんと言うと、彼女はcheck(小切手)をだして、ミサをしてくれたら、あげたのに・・・」と。「ここが、動物をかわいがった聖フランシスコのお弟子さんが担当する小教区だときいて、遠くから来たのに」と言いました。

「オ~奥さま、どうして最初にドッギーがカトリックのワンちゃんだと言わなかったのですか?ピーターとか、メリーとか名前がなかったのですか?

ペットのためにミサ、よろしいでしょうか?

※ 霊操とは、イグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会の霊性修行、またその方法を記した著作。

   「体操」で身体を鍛えるように「霊操」は霊魂を鍛えること目的とする。修業の到達点においては深い人格

   的交わりを持つ=神の御意志を見出すことが目指される。

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