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​三位一体の主日(2015年)に

フランシスコ教がお言葉を述べられています。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 わたしたちは今日、三位一体の祭日を記念します。この祭日は、父と子と聖霊の三位一体の神の神秘を思い起こさせます。三位一体は、神のペルソナの交わりです。神のペルソナは、互いに切り離すことはできず、互いのためにあり、互いのうちにあります。

この交わりは、神のいのちであり、生きておられる神の愛の神秘です。

しかし、誰がこの神秘を伝えたのでしょうか。

それはイエスです。イエスは父なる神について語り、聖霊について語り、そして神の子としてご自分のことを語ることによって、この神秘を伝えました。

そして、(死者のうちから)復活した後、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(マタイ28・19参照)と言って、弟子たちを、宣教に遣わしました。

キリストは、あらゆる時代の教会にこの命令を託します。

教会は、使徒から宣教の使命を引き継いでいるのです。この命令は、洗礼によってイエスの共同体の一員となったわたしたち一人ひとりにも向けられています。

 このように、今日の典礼は、この素晴らしい神秘について考えるようわたしたちを促します。

その神秘は、わたしたちの源であると同時に、わたしたちがこれから向かう目的地でもあります。

そして、わたしたちは神との交わりのうちに生きるという使命を新たにし、三位一体の神の交わりを模範として、自分たちも交わりのうちに生きます。

わたしたちは、互いに切り離された形で生きたり、他者に勝ったり、敵対するように招かれているのではなく、他者とともに生き、互いのうちに生きるよう招かれています。

それはすなわち、福音の美しさをあかしすることを受け入れ、同意すること。互いに愛し合い、すべての人を愛すること。

喜びも苦しみも分かち合うこと。

ゆるしを求め、自分も他者をゆるすこと。さらには、牧者である神の導きのもとにさまざまなカリスマを尊重することです。

ひとことで言えば、わたしたちは一つのより大きな家族である教会共同体を築くという使命を託されています。その共同体は、三位一体の神の輝きを映し出し、ことばによってだけでなく、わたしたちの中に生きておられる神の愛の力によって宣教するのです。

 三位一体の神は、わたしたちの地上の旅が目指す最終目的地でもあります。

キリスト者のいのちの道は、まさにその本質において「三位一体」です。聖霊は、キリストの教えを完全に理解するようわたしたちを導きます。聖霊は、イエスの教えを思い起こさせてくれます。

イエスは、御父のことをわたしたちに伝え、わたしたちを導き、ご自分をとおして御父とわたしたちを和解させるために、この世に来られました。

キリスト者の生活のあらゆるものが、三位一体の神秘を中心に展開し、その永遠の神秘のうちに完成します。

ですから、何のために、どんな栄光のために自分は存在し、働き、もがき苦しんでいるのか、どんな素晴らしい代償が待っているのか考えつつ、自分の生活の「トーン」を上げましょう。

この神秘は、わたしたちの生活全体、キリスト教生活全体にかかわります。

わたしたちは、父と子と聖霊のみ名において十字を切るたびに、このことを思い起こさなければなりません。それでは皆さん、大きな声で唱えながら一緒に十字を切りましょう。

 マリアの月である五月の最終日の今日、わたしたちはおとめマリアに自らをゆだねます。

他の誰よりも三位一体の神秘を知り、あがめ、愛しておられるマリアが、わたしたちの手をとって導き、この世の出来事の中に父と子と聖霊である神の現存のしるしを見いだせるよう、助けてくださいますように。

わたしたちが全身全霊でイエスを愛し、三位一体というわたしたちの生活の偉大な目標に向けて歩めるよう、マリアが支えてくださいますように。教会が交わりの神秘となり、つねにすべての人、とりわけ貧しい人や社会の片隅に追いやられた人々を受け入れ、そうした人々が自分は望まれ、愛されている神の娘であると感じられる共同体となるよう、マリアが助けてくださいますように。

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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