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ぬくもりと優しさ

                                        山本孝神父

                                                                                                      

 

教皇フランシスコは、2013年3月、教皇に選出されてすぐ後の、およそ30万人が参加した日曜正午の集いで、「神の慈しみは世界を変える」、という話をされました。その中で、「もう少し憐れみがあれば、世界は前より少し冷たくなくなり、もう少し正義に沿ったものになるでしょう。

わたしたちはこの神の憐れみを、とても忍耐強いこの憐れみ深い御父を、もっとよく理解する必要があります」と話され、就任当初から神のいつくしみを強く心に留めておられたことが分かります。

 

教皇は「小さき人びと」に寄り添い、共に生きることを大切にし、教会に新しい風を吹き込みました。就任の翌年、クリスマス前の枢機卿たちに向けたあいさつでは、一年の苦労をねぎらうのではなく、「教皇庁が患う15の病気」について話され、はっきり物の言えない「陰口というテロ」、他者への無関心、閉じられた「内輪」の優先、喜びを伝えない「お葬式のような深刻な顔」、現実に向き合わないで、「自分たちだけの別世界を作る」など、教会の官僚主義的で内向きな体質を批判しました。

わたしたちの教会には病気がないでしょうか。

 

今年は神のいつくしみの特別聖年です。わたしたちの教会は、神のいつくしみ、信仰の喜び、人の温かさが感じられるホッとできる場にもっと変えていくことができると思います。信者が増えない、若者がいない、召命もない、みんなどこかに問題があったはずです。やはり病気を患っていたのです。信者が増えている宗教団体だってあります。

マザー・テレサは、シスターたちが仕事を終えて修道院に戻ってきたとき、「スープボウルを手渡す時、相手に微笑みかけましたか。

ちょっと手に触れてぬくもりを伝えましたか。短い言葉がけを、忘れはしなかったでしょうね」と話していたそうです。渡辺和子シスターは、スープボウルを手渡すだけなら、ロボットにもできます。むしろ効率的な働きをするかもしれません、しかし、一人ひとりに心を込めて渡す時のぬくもり、優しさ、ほほえみは、人間しか与えることのできないものなのです。」と書いています。 わたしたちの教会が、ぬくもりと優しさ、心の安らぎが感じられる場になっていくことが、いま求められていることだと思います。

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