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年間第21主日

 

(ルカ13.22-30) 狭い戸口から入るように努めなさい

 

 今日は8月21日ですが、今日の年間第21主日と21日がぴったりあっています。イエスは神の国の中に誰がいるか、外に誰かいるかというような内部情報を探し求めているよりは、自分自身の心を気にかけるべきですと注意させています。天国は満員だろうかガラ空きだろうか。地獄はどうか?この人あの人はどうかと詮索するよりは、自分が入れるように考えなさい。天国の門は狭く、そらがいつ閉じられるのかわからないからです。若い時に神さまに呼ばれる人もいますが、もういつ呼ばれてもおかしくないのに、まだまだ元気な年寄りもいます。

 先日の福音に、ぶどう園に朝早くから雇われた人と、夕暮れになってから雇われた人の話がありました。神さまのなさり方は人間には理解できないことが多いです。洗礼を受けて何年信者生活をしてきたか、教会のために何をしたか、などは天国とは余り関係ないかもしれません。 

人が救われるのは神さまの決めることです。今日の福音で家の主人が「お前たちがどこの者か知らない」と言っているのは、わたしたちがど忘れして、思い出せないのとは違います。愛の心を持っていたかどうかがいつも問題なのです。社会的にどれだけ立派な地位にいたか、どれだけの財産を持っていたか。そういったことは天国の門には関係ないのです。

 自民党が安倍元総理の国葬を考えているみたいですが、反対の声がたくさんあります。わたしは、国葬はカトリック教会の列聖に近いのではないかと思います。聖人のハードルは高く時間がかかります。安倍元総理の評価はまだ定まっていないので、自民党葬くらいで納めておくほうが無難な気がします。

 有名でもない、ごく一般の庶民であるわたしたちは何ができるかというと。ほほえみや人と交わすあいさつ、喉の渇いた人に差し出す一杯のお水。道端のゴミ拾いなどの小さいことの積み重ねができることです。そのうちいつかではなく毎日できる小さいことを大切にしていきましょう。いまNHKの朝ドラの「ちむどんどん」で主人公の兄で、一発逆転を狙っていつも失敗し、みんなに迷惑をかける愚かな兄がいて、この兄が出てくるとまた何かやらかすとハラハラして見ています。

神の国は毎日コツコツと地道に歩む人に開かれます。

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