
聖母の被昇天 (ルカ 1.30-56) あなたは女の中で祝福された方です… 2022.8.14
今日は年間第 20 主日で、福音はイエスが「わたしが来たのは、地上に火を投ずるため である」と言われた箇所です。しかし、今日は 8 月 14 日のため、明日の聖母の被昇天の ミサを特別にしています。本来は主日のミサを他のミサに取り替えてはいけないのですが、 ここの教会のお祝い日にも当たるので、司牧的配慮ということで、今日はマリア様の被昇 天のミサをしています。
みなさん聖母の被昇天のお祝いおめでとうございます。
カトリック教会では聖母マリアについて、四つの教義があります。
1.神の母マリア
2.乙 女マリア
3.無原罪の御宿り
4.被昇天。神の母マリアと聖母マリアの処女壊胎は五世紀の エフェソ公会議(431 年)で決定された教義です。聖母無原罪の御宿りの教義は 1854 年 にまた聖母の被昇天は、1950 年に教義として決定されたものです。しかし考えてみます と聖フランシスコ・ザビエルは 1549 年 8 月 15 日に鹿児島に上陸しました。その日が 聖母の被昇天の祝日だったので、ザビエルは日本を聖母マリアにささげたとされています。 マリア様が、すべてのキリスト者先駆けとして、三位一体の神との交わりのうちに霊的な 体となったということは、すべての人間が聖母マリアのような霊的なからだにおける完成 へと招かれているということも意味しています。(フィリピ 3.20〜21) わたしたちはロザリオの祈りの栄の玄義で、聖母の被昇天を黙想して祈ります。ロザリ オは 13 世紀の聖ドミニコのころからの伝統的な信心業です。古い時代から聖母マリアが 地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられたと思われていました。 このことはわたしたちの希望にもなります。 ニコラオ・プレシェル神父様の「ロザリオの祈り」という本で、栄の第四玄義には、『マ リア様の被昇天。これはキリストとマリア様に限るものではなく、キリストに従うすべて の者の道が、示されています。さらに数えきれない天使、聖人、美しさ、すばらしさ。神が 用意してくださった世界に入れられ、わたしのいままでたえしのんだこと、やったこと、 自分のちっぽけな姿と神の豊かさを、そのとき、どれほど見抜くことができるでしょう。 ‥この被昇天は、天の家族、神秘体。いわゆる神の家族との再会です。そういう大きなな んとも言葉で言い表せない、フィナーレがわたしたちに約束されています。』と書かれてい ました。
わたしは最近、天国に行ったら会いたい人のことをよく考えています。わたしに はまだあったことのない姉がいます。-この姉は3歳くらいの小さい時、ジフテリヤに罹り、 父が馬そりで町のお医者さんまで運ぶ間に亡くなったそうです。 天国に行ったら楽しいだろうと考える前に、自分はどうしたら天国に入れてもらえるだ ろうかと考えましょう またこの時期、お墓参りや亡くなった人のことを考えますが死んでからではもう遅いこ ともたくさんあるので、まだ元気のあるうちに、自分の死を考えておきましょう。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
