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年間第16主日

山本孝神父

ルカ10.38-42(必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ)

 ルカ福音書では、イエスがある村にお入りになったと書かれていますが、ヨハネ福音書によれば、この村はエルサレムに近いベタニヤでした。今月の7月29日に聖マルタと聖マリアと聖ラザロという三人のきょうだいの記念日があります。彼らはベタニアで主を温かくもてなし、マルタは心をこめて奉仕し、マリアは敬虔に主のことばに聞き入りました。そしてラザロが死んでから、イエスは二人の祈りにこたえて彼を生き返らせました(ヨハネ11.1〜42)。

ベタニアのこのきょうだいの家はイエスが親しくしていたくつろげる場所だったみたいです。ラザロが亡くなった時、ラザロのお墓の前でイエスは涙を流されました。ユダヤ人たちは「なんとラザロを愛していたことだろうか」と驚きましたが、その後でイエスはラザロを生き返らせました。3年前の7月に今日の福音の日曜日に教皇フランシスコはこんなふうに話されました。

『イエスを迎えたマルタは、客をもてなすためにすぐに忙しく働き始めました。一方で、マリアは主の足もとに座り、その言葉に聞き入っていました。そこで、マルタは師イエスに向かい、マリアに手伝うように言ってほしい、と頼みました。マルタの小言は一見もっともなことのように思われます。ところが、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。 マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカ10,41-42)と答えられます。なぜ主はマルタの寛大な心遣いに感謝しながらも、マリアの態度こそ取るべきものと明言されたのでしょうか。マルタの「哲学」は、「義務こそ第一、楽しみは後」というもののように思われます。もてなすためには、言葉だけでなく、客が居心地良く感じられるように立ち働かなくてはなりません。実際、イエスはマルタの働きをよくご存じでした。しかし、イエスはマルタに従来とは異なる新しい優先順位を理解させようとしたのです。これに対し、マリアは何よりも優先すべきことを直感していました。「マリアは良い方を選んだ」、それはイエスの言葉に耳を傾けることでした。「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」(同10,39)と福音書は言います。何かをしながら立ったままで聞いていたのではなく、マリアがイエスの足元に座っていたことに注目しましょう。マリアは、イエスが他の客たちのように食事や宿を求めて来たのではなく、その言葉を通してご自分を与えるために来られたことを理解したのです。』

地球温暖化のせいか最近は毎日、とても暑い日が続いています。明日は海の日で連休になっています。そして今日は参議院議員選挙の投票日です。

忙しい毎日でも、立ち止まりイエスに耳を傾ける機会を見つけましょう。今日、観想のための自由時間を見つけることがますます難しくなっています。

最近は暑くて寝苦しい日が続いています。わたしは近ごろ朝起きてすぐ窓を開け、反対側の廊下側の戸を少し開けて風通しをよくして、それから7時半の食事までの時間を祈るために使っています。約1時間半は祈りの時間として使えます。お祈りを頼まれている人や病人のことをまず思い出します。そしてロザリオを唱えている間にたくさんのことに気づき教えてもらえます。

 夏の期間を、福音書を開き、毎日少しずつそれを味わう貴重な時としましょう。マルタとマリアのエピソードから、自分たちの生活を振り返ってみましょう。1日の始まりからすでになすべきあれこれに没頭しているのでしょうか。それともまず神のみ言葉から最初のインスピレーションを得ようとしているでしょうか。朝、イエスの言葉を頭に留めながら出かけるならば、一日はその言葉によって意味を帯び、その言葉は主が望まれるようにわたしたちの行動を導くでしょう。

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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