
「灰の水曜日」
2025/3/5 山本孝神父
マタイ6.1-6、16-18(隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる)
カトリック教会の典礼暦は、灰の水曜日から復活祭前の準備期間の「四旬節」に入ります。四旬節はキリストが公生活に入る前に、荒れ野で四十日間の断食を行ったことを思い起こし、改悛、祈り、断食、節制、施し、愛徳の実践の実践を通して、キリストの復活の記念によりよい形で与る準備をする期間です。
今年の復活祭は例年より少し遅い4月20日です。四旬節に入ると典礼も変わり、祭服は紫が使われ、主日のミサでは栄光の讃歌はなくなり、アレルヤ唱は詠唱に代わります。
わたしはミサの祭服の色が紫になる四旬節と待降節には、少し節制しようという季節なので、なんとなく暗い気持ちになってしまいます。昔ラベンダーの時期に教会のお母さんたちと富良野方面に見物に行った時、わたしは、街中に紫の幟などが出ていて、楽しい気持ちにはなれませんでした。でもその時に一緒に行ったあるおばあちゃんが、家に帰ってから「今日は山本神父さんと富良野に行ってベランダーを観てきた」と話して家族を笑わせたそうです。四旬節は何かのことで頑張っていても、暗い顔や苦しそうな雰囲気ではなく、明るく楽しく過ごしてください。
先日3月2日の日曜日に、ローマの病院に入院中の教皇様は、バチカンの広報局を通して発表したお告げの祈りの挨拶で、「わたしはもろさの中に隠された「祝福」を心に感じます。このような時にこそ、わたしたちはいっそう主への信頼を学ぶからです。同時に、多くの病者や苦しむ人々の状況を、肉体と精神において分かち合う機会を与えてくださった神に感謝します。
世界の様々な場所で多くの信者の心から主に向かって立ちのぼる祈りに感謝したいと思います。皆さんの愛情と寄り添いを感じ、今この時、すべての神の民に「運ばれ」、支えられている気がします。皆さんに感謝申し上げます。
わたしも皆さんのために祈ります。そして、特に平和を祈ります。ここからだと戦争がいっそう不条理に見えます。苦しむウクライナ、パレスチナ、イスラエル、レバノン、ミャンマー、スーダン、キブ地域のために祈りましょう。
わたしたちの母、マリアに信頼のうちに委ねましょう。よい日曜日を。またお会いしましょう。」とこんな挨拶を送ってくださいました。
その後、教皇様の容態が少し改善したようで安心しました。
今日の聖書と典礼の裏に、あるシスターが「現代は悔い改めるということが難しくなっているようです。‥‥自分さえよければ他人のことはどうでもいいという自己中心的な考え方は、個人のレベルを超えて国家のレベルでも当たり前になっているのではないでしょうか。」と書いています。
わたしたちは今日、頭に灰を受け、自分のことだけでなく、世界中から自己中心の心が減っていかなければならないことを考えましょう。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
