
6月 「ミサ・ご聖体に導かれて」
世界中が見守った教皇選挙も終わり、新しい教皇レオ十四世が誕生しました。新しい教皇様のために祈りましょう。わたしたちの祈りが教皇様に力を与え、聖霊に導かれながら、カトリック教会を、ひいては世界を導いていくのだと信じて祈ることが大切でしょう。司祭もまだ慣れていませんので、反射的に「教皇フランシスコ」と口走ってしまうこともあるかも知れませんが、寛容に見ていただければ幸いです。わたしたちのカトリック教会は、教皇を最高責任者として、教皇、司教、司祭、信徒すべてがヒエラルキー(位階制度)の中に位置づけられている組織ではあります。ですから教皇の使徒座からの宣言や発言は、わたしたちの教会の方針となり、歩みべき道の指針となります。だからこそ、わたしたちも祈らなければなりません。祈りで支えるということは、とても大切な義務の一つです。
しかしカトリック教会の中心は、バチカンや教皇の使徒座ではありません。わたしたちの信仰の中心地は「ミサ」であり「ご聖体」です。わたしたちは日ごとのミサや、その感謝の祭儀で与えられるご聖体に生かされているということを、しっかりと味わうことが大切なのだろうと思います。
先日、事情があってこれまで初聖体受けていなかった方を訪問し、ご聖体を授けたとき、その喜びようは驚くほど大きく、見ているこちらの心が洗われるような気持ちになりました。むしろ振り返って「ご聖体を、これほど喜んで受けたことが自分自身にあっただろうか」と思わず考えてしまうほどで、これこそが「ご聖体に生かされる」という瞬間なのだと思い、この出会いをくださった神様のお導きに感謝しました。ご聖体に生かされる自分を見いだした時、それこそがイエスの福音を生きる瞬間なのです。
ご聖体が饗される「ミサ」は、イエスの最後の晩餐のモチーフの中で、そこでイエスがなさったように、パンとぶどう酒を用いて、これが「わたしのからだ」であり「血」であるとして与えてくださった祭儀です。祭壇を食卓と見立てて、主の晩餐を行う。そこにイエスのご聖体が出現します。食卓は「愛の交わり」の基本です。イエス自身も、聖書の中で大切な話を弟子たちにするのは、いつでも食卓です。一緒に食べる、同じものを食べる、分け合って食べる、いのちをいただく、食べ物を与えあう、この単純な食事という行為の中に、愛を交わし合う原型があると言っても過言ではないでしょう。だから、家庭内での食事は、とても大切なんだと言えます。ただ食べるのではなく「ともに食べる」ことが大切なんです。そして、その交わりの食卓、感謝の祭儀の食卓で食べるのは「イエスそのもの」であるご聖体です。この愛の交わりの食卓に、わたしたちは招かれています。そしてイエスご自身をいただいたなら、その食卓に多くの人を連れてきて、喜びを分かち合うこともわたしたちの大切な使命です。それこそが「宣教」です。
わたしたちがご聖体に生かされて、喜びに満たされて出かけていき、この主の食卓に一人でも多くの人を招くお手伝いをすることができますように、この復活節を過ごしてまいりましょう。