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新年明けましておめでとうございます。

長尾 俊宏神父

 元旦早々能登半島地震、2日には羽田での航空事故と大きな不安と心配の年の始まりとなり、関係者の方もおられるかもしれませんし、「今年もよりよい年でありますように」と年始のあいさつにもこだわってしまう思いです。そんな中で16日(火)の道新で石川県は地震で亡くなった人のうち遺族の同意を得た人の氏名を公表したという記事がありました。

「名前、年令、場所はその人の生きて来た証」であり、その周りにはどれだけの人々が関わりをもって共に生きて来たのかと思い起こされます。名前には家族の思いが、年令には一緒に生きて来た家族、友人がいて、場所には亡くなった人の人生観、人の道のよき伝統文化をみることが出来るのでないでしょうか。

文字通り、いいつくせない人の人生があることを知らされるのではないでしょうか。そして、私たちとの関係は、その人から、「私」と「あなた」とのつながりになっていくのではないでしょうか。

このような中で今年の第2主日の福音でイエスから「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする。」(ケファはアラム語で岩、ギリシャ語に訳した名がペトロ)私たちのカトリック教会の初代教皇様です。

ここにはこんな伏線があると思います。

イエスのガリラヤでの宣教を始めるにあたって山合のナザレを離れ、湖の沿岸にある中心的な町カファルナムに住まいを移します。ここは異教徒の住む所で、ここを選んだということは伝道の対象者はご自分の同胞だけではなく「異教のガリラヤ」と呼ばれる、首都エルサレムに比べれば辺境にあり、イスラエルに属さない人々が混ざっていた地、救いの光によって何かすごい出来事が起こるなど考えもおよばないことでした。                 

しかし、そこからあの「光」が差し込みます。「キリストの光」は、まさしくこの辺境の地から広がっているのです。

「天の国」「神の国」は悔い改め、回心して、考え方、生き方を変えるよう私たち一人ひとりが求められています。

イエスは旅する予言者となることを選ばれます。

待つのではなく、彼らに会いに出かけます。イエスはいつも旅をしています。イエスの宣教の最初の一歩がガリラヤの沿岸が舞台で民衆と、とくに漁師たちとのつながりから始まります。イエスは神の国の到来を告げるだけではなく、自分の担われている救いの使命に加わる仲間を探しています。その場所で二組の兄弟と出会います。

シモン、アンドレア、ヤコブとヨハネ、イエスは「私について来なさい。」招くこの呼びかけは日常生活の中にある彼らに届けられます。私たちの日常生活の中でご自分を明らかにされるのです。主は私を思い起こさせますように、そして、その中にご自分を現わし、ご自分の愛が私の心に届くようにしてくれます。そして日常生活を通じて、私たちをご自分との対話において、主イエスは私たちの心を変えてくれます。

四人の漁師の反応は素早く、意欲的です。「二人はすぐに網を捨てて従った」(ヨハネ4.20)

現代に生きる私たちキリスト者はこの最初の呼びかけのおかげで、思いもよらない場所で、キリストの弟子の共同体が生まれました。こうした始まりを知ることによって、イエスのことばと愛とやさしさを、どんな状況の中にも入り込む余地のない、突きはねられる中にももたらしたいという願いを抱けるようになりますように、人々の住んでいる場所は、どこであろうと救いの実りがもたらされますように、聖霊の種が蒔かれるべき大地です。

喜んでイエスの呼びかけに応え、神の国のために仕えることが出来るよう、この1年を共に歩んでいくことが出来ますように!

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