
2024/8/11 山本孝神父
ヨハネ6.41-51(わたしは、天から降ってきた生きたパンである)
先週の日曜日の説教の時、わたしは8月の日曜日の福音はヨハネ6章の聖体についての福音が続くので、ヨハネ・パウロ二世の「教会にいのちを与える聖体」という回勅から、今月は、聖体についてもう一度考えてみたいと話しました。この回勅の第1章は、「信仰の神秘」について書かれています。第2章は「教会を築く聖体」がテーマです。聖体には主の受難と死という出来事が永久に刻み込まれています。聖体はこれらの出来事を思い出させるにとどまらず、それらを秘跡によって再現します。聖体は十字架上のいけにえを世に永続させるのです。ミサは十字架上のいけにえが永続する記念であると同時に、主の体と血にあずかる聖なる会食でもあります。キリストは、ご自身をいけにえとして教会にささげることによって、同時に教会の霊的ないけにえをも、ご自分とともにささげられました。信者はキリスト教生活全体の泉であり頂点である聖体の犠牲に参加して、神的いけにえを神にささげ、自分自身をもささげます。聖体は、キリストがわたしたちを養うためにご自身をささげてくださる本当の意味での会食です。
聖体によって養われた者は、来世において永遠のいのちを得るのを待つ必要はありません。わたしたちは聖体によって、世の終わりにわたしたちの身体が復活することの保証も与えられるからです。「主が来られる時まで(1コリント11.26)主の死を告げ知らせながら、聖体にあずかる者はだれでも、自分の生活を変え、自分の生活をある意味で完全に「聖体に生かされた」ものにしていくよう導かれます。
第二バチカン公会議は感謝の祭儀を行うことは、教会が成長する過程の中心だと教えています。キリストがわたしたちの過越の小羊として屠られた(1コリント5.7)十字架上のいけにえの祭儀が祭壇の上で行われるたびごとに、わたしたちのあがないのわざが行われます。同時に、聖体のパンの秘跡によって、キリストにおいて一つのからだを形づくる信者の一致が表され、実現します。
この続きはまた来週話します。
先日、東京からのお客さんが、家族で北海道旅行に来ていて、旭川に泊まった日に、会いに来てくれました。その前日に、網走監獄を見てきたようで、お土産に「網走監獄から帰りました」と書かれたラーメンをもってきてくれました。ラーメンの袋には、「シャバの味」塩ラーメンと印刷されていました。そのパッケージを見ていてわたしは、面白いことを考えました。教会がご聖体を宣伝するなら、「天国の味」「これだけで永遠のいのちが保証されるすごいパン」と書いて宣伝したらどうかなと思いました。そして通信販売なら電話番号は0120-371-059(みな天国)がいいと思いました。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
