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アヴェ・マリアの祈り

クレト 中村 道生神父

 

 9月4日に、83 才を迎えましたが、最近気になることがあります。「アヴェ・マリアの祈り」に、“今も、死を迎える時も、お祈りください”とありますが、今まであまり意識して唱えたことがなかったのですが、とても深い大切な意味があることに気付かされました。

神居修道院では、朝の祈りと、晩の祈りを共同で唱えていますが、「教会の祈り」には、

「主の祈り」はありますが、「アヴェ・マリアの祈り」はありません。幼稚園では、子供たちは、「アヴェ・マリアの祈り」を、いつも元気に唱えていますが、「主の祈り」はあまり唱えていないようです。私はロザリオの祈りとか、お告げの祈りは個人で唱えることが多く、しかも、繰り返して何度も唱えるので、恥ずかしい話ですが、ファリサイ派の人たちの祈りよりまだ悪質で、黙想するどころか、いつも心を散らし、決められた祈りを早く終わらせようと、早く唱えてしまいます。

私は電話を聞いてもすぐに忘れてしまうので、カレンダーやメモリーカードに、要件とか日時をメモするようにしています。このメモリーカードをヒントに、祈るときに、すぐ心を散らすので、その予防策の一つとして、「教会の祈り」の本の表紙に「ゆっくりと、  心を込めて、  主の前に」と、メモカードを張っています。このメモカードのせいで、「アヴェ・マリアの祈り」、とくに、その結びの “今も、死を迎える時も、お祈りください” の祈りに、深い大切な意味があるのに気づかされたのではと思っています。

 

 私は先日、認知症外来の診察を受けましたが、MRI の結果もあまりよくありませんでした。説教ができなくなり、信徒の皆さんに迷惑をかけるのが心配ですが、それに、祈りもちゃんとできていないし、健康のことも不安がないわけではありませんが、実は、これから先の信仰生活、修道生活についてはあまり心配していません。というか、マリア様は

「あまり心配しなくてもいいよ。イエス様には、お出来にならないことはないのですから」

と言ってくださっているように思います。お告げの時、十字架のもとにとどまり、さらに、教会とともに聖霊降臨を待ち望んで祈ってくださったマリア様は、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」と約束されたイエス様のように、イエス様とともに、

「いつも、ともに」いてくださっているのではないでしょうか。

後期高齢者となった今、死を目の前に迎えていると考えていますが、それは単に「墓に入る時」と考えるのではなく、「神の国に迎え入れられる時」でもあると考えています。それは、私が立派に生きてきたからではなく、むしろだらしなく罪深い日々を送りながらも、

「神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も死を迎える時もお祈りください」と祈れるからにほかなりません。

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