年間第31主日
マルコ12.28b-34(あなたの神である主を愛しなさい。隣人を愛しなさい)
今日の福音の「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である」は(シェマー・イスラエル、Shema Yisrael, שְׁמַע יִשְׂרָאֵל; )と言われ、イスラエルで古くから唱えられているお祈りで、「聞け、イスラエル。主は一つである。」という意味です。
ユダヤ教の神髄とされており、ユダヤ人の文化の重要な一部として社会に溶け込んでいます。敬虔なユダヤ教徒はシェマーをユダヤ教の祈祷の中の重要なものとして一日二度唱えていました。また経札やメズーザとして常に身近においていました。これは両親が、子供に夜寝る前の言葉として教えるという伝統がありました。
イエスももっとも大切な教えの一つとして取り上げています。わたしは今日の福音を読んで、イエスの教えのまとめのような箇所だと思いました。「神を愛する人は隣人を愛さなければならない」
そしてイエスは、どんな捧げ物や儀式よりも隣人愛の方が大切だと教えています。まもなくアメリカの大統領選挙が始まります。前回の大統領選挙の時、終わった後で揉めていました。わたしは政治家たちが自分の国を立派にすると言っている時、すごく狭い見方しかしていないことを寂しく思います。自分の国が豊かで強くなることだけでなく、神が大切にされる世界を考えなければ、なりません。自分たちだけがよければいいと思う人を大統領に選んでしまうと、世の中はだんだん神から離れて行ってしまいます。神さまが大切にされる世界になりますように、平和が来ますようにと祈りましょう。
今日は11月の最初の日曜日になりました。教会では、キリスト教の初期時代から死者の記念を尊び、祈願を捧げてきました。キリスト教では死は「終わり」ではなく、天国での新しい命を得る時とされています。そのため、天国にいる方々を思い浮かべると同時に、地上に生きている私たちも自分の命について考えることが大切です。
わたしは先日、鈴木秀子シスターの「死にゆく人にあなたができること」という本を読みました。家族、そして大切な人、やがて訪れる最期を幸せに見送るために大切なこと、が書かれていました。鈴木秀子シスターは自分が臨死体験をしてから死についてたくさんの本を書いています。そして死にはたくさんの見方があって、受け止め方はさまざまですが、否定的に恐ろしいものと捉える人が多いです。でも死の後には安らぎ満ちた世界があることを信じています。そして、死は人にとってもっとも大切な人生の仕上げの時です。
そして、死の先に続く生があり、人は死後に次の世界に入っていきます。と書いています。大切なことは、不安や恐怖、恨みや後悔などを手放し、この世での人生を完成させることです。ですから、大切な人を見送るご家族は悲しむだけではなく、死にゆく人が幸せに逝くためのサポートをしていくことが重要になってきます。それで死にゆく人とそのご家族にとって、死と向き合い受け入れていくために必要なこととして、次の三つのことをあげています。
1.「大いなる存在」を実感して、人は生かされていると知ること。
2.「聖なるあきらめ」によって執着を手放し、現実を受け入れること。
3.死にゆく人との「仲良し時間」を大切にすること。死にゆく人が安心して旅立つことができるように、わたしたちが死をしっかりと捉えて送ってあげなければなりません。
わたしは先日、今年7月に亡くなられたドミニコ神父さんの夢を見ました。神父さんは老人の弱々しさではなく、元気そうでニコニコしていました。死は新しい人生のスタートなんです。
わたしは死んでからやりたいこと、会いたい人が、たくさんいます。そしてその時を待ち遠しく思っています。死について考えれば、それだけ、自分がしっかり生きていかなければならないという感じがしてきます。