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受難の主日(枝の主日)

 

2023/4/2

(マタイ27.11-54マタイによる主イエス・キリストの受難)

 

 今日からの一週間は四旬節の結びにあたる聖週間です。中でも聖木曜日の午後の「主の晩餐」のミサから、聖金曜日の「主の受難の儀式」、聖土曜日の「復活の聖なる徹夜祭」に至る「過ぎ越しの聖なる三日間」によって教会の典礼は一年間の頂点を迎えます。今日は四旬節最後の日曜日になります。ユダヤ人の過越祭を間近に控えて、イエス・キリストは、ベトファゲからロバに乗ってエルサレムの街に入られました。すると大勢の群衆は「イエス・キリストがダビデ王のように、イスラエルの国を復興させる王としてエルサレムに来られた」かのように考え、自分の服や木の枝を道に敷き、「ダビデの子にホザンナ」と叫んで、イエス・キリストを歓迎しました。この出来事にちなんで今日のミサでも、ミサの始めにソテツの葉を祝福し、それを手に持って主の「エルサレム入城」を記念します。

 イエス・キリストがエルサレムにおいでになったのは、使徒たちに何度か予告していたように、十字架にかけられて、すべての人の身代わりとなって、自分の命をお捧げになるためでした。このご受難の出来事を記念するために、今日の福音では「キリストの受難の朗読」が行われます。

信徒は今日の祝福された枝を各家庭に持ち帰って、十字架に付けたり、家庭祭壇に飾ったりします。これは人類のために、十字架の木によって死を打ち滅ぼした「正義の芽生え」(エレミヤ33.15)として復活し、永遠のいのちに入られた「キリストの勝利」を予告するシンボルであると言われています。

 今日持って帰る枝は来年の灰の水曜日の前に教会に持ち寄られ、焼いて「灰の式」に使われます。日本の教会では枝の主日の枝はカトリック聖歌集では♪棕櫚の葉を手にとって♪と歌っていますが、実際にはソテツの葉が使われていますが、典礼の儀式書では常緑樹であればよいみたいです。イタリアではオリーブの枝を各家庭から持って教会に集まるようです。わたしは昔、巡礼中にフランスで枝の主日を迎えたことがあります。その時はみなさん聖堂の入り口でツゲの枝を買って教会の中に集まっていました。

五条教会にはベトナムの方が多いので、ベトナムでは枝の主日に、どんな枝が使われているか誰か教えて欲しいです。

 枝の話しだけしていると、本当に枝葉末節なことを話しただけになってしまいます。今日話したいことは、聖週間の一日一日を大切に考えて過ごして欲しいということです。この一週間は信仰者にとって特別な時です。イエスの受難と死と復活がなければ、わたしたちの信仰もあり得ません、信仰の原点を改めて見つめ直す時であります。聖書と典礼の裏に「今週の聖書朗読」が載っています。毎日福音の箇所を黙想してください。この一週間はいつも以上にイエスの存在を意識して過ごして欲しいと思います。わたしたちは、イエス自身の苦しみによって生かされていること、その死と復活によって、生きる希望をあたえられたのだと、感謝する思いをこの期間に少しでも思い起こしてください。この一週間は信仰の原点に立ち返るチャンスです。

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