top of page

 

イエスのみ心の祭日にあたって

山本孝 神父

 六条教会の広報の方から、巻頭言の原稿を6月21日までに送ってください、とメールをもらい、6月21日とは今国会の会期末と同じだと思いました。それで今日は6月16日でイエスの御心の祭日なので、最近あまり注目されなくなった、イエスのみ心の信心について書くことにしました。今朝、バチカン放送の動画配信サイトで、毎日配信されるロザリオの祈りを見ていたら、昨日(15日)からロレートの聖堂の説教台の傍にイエスのみ心の大きなご像が置かれていることに気づきました。

 

(6月はイエスのみ心の月) ➖カトリック中央評議会のサイトから引用➖

 

 イエスのみ心は、全人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓を表し、その信心はイエスのみ心に表される神の愛を思い起こし、その無限の愛のしるしであるみ心をたたえるものとして中世に始まりました。

特に聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647-90)がみ心の信心についての啓示を受けて17世紀にフランスで広まりました。1675年6月16日、この聖女はご聖体を前にして、イエスの愛にこたえたいという思いに駆られました。そのときイエスは、愛情に燃えているみ心を示して、人々の間に存在する冷淡な心を嘆かれ、イエス自身の愛に倣ってその心を尊ぶことをすすめられました。

またこのようなイエスの出現が数回にも及び、ご聖体の祝日(キリストの聖体)後の金曜日をみ心を礼拝する特別な祝日として定めるようにとのお告げにより、み心の信心の内容と形式が明確にされるようになりました。

 そして1856年に教皇ピオ9世によってイエスのみ心の祭日がご聖体の祝日後の金曜日に全世界で祝うことが定められました。ご聖体とみ心の主日がおよそ6月に祝われるというこのような歴史からして、次第に6月が「イエスのみ心の月」と自然に浸透し、制定されてきたことは十分に考えられます。

 

 み心の信心は、教会において基礎となるものであり。キリスト教の中心といえるものでありますから、イエスのみ心の限りない愛に対して、できる限りの愛をもってこたえるというみ心の信心の目的をしっかりともちながら特にこの月を過ごしていきたいものです。

bottom of page