top of page

 皆さんお元気ですか。今年は北海道もお盆が過ぎても暑い日が続き、体調をくずされた方も多かったのではないでしょうか。気候変動の影響か!?

 野菜、果物の値段も上がっているとか。この先、どうなるか心配がつきない方々も多いのではないでしょうか。心配も不安も、恐れも… 気配を感じる!!

 それでも、この数日の朝の寒さで夏からおだやかな秋への移行を感じているのではないでしょうか。

こちらの修道院の中庭の木々も、この2~3日の内に紅葉が始まっています。毎年庭の紅葉は文字通り「もみじ狩り」なみの美しさになります。ただ今年の夏の暑さで期待は薄いです。そして、紅葉も終り、一面落ち葉の庭になり、雪が積り、銀世界に、そして春になり、雪がとけ草木が芽を出し、ナシ、さくらんぼの花が咲きほこります。そして夏になっていきます。

 フランシスコには、自分の中にあるものも、すべてが天の父なる神からの贈り物と感じられた。なにも期待していない心には、すべてがただ感謝すべきものと映るのである。土のかたまりさえ、彼には歓喜の源となりえたし、存在するすべてに対して感謝せずにいられないのだった。

 フランシスコは、出会う人ひとりひとりに、生きているということはなんとすばらしく、神のみ手になるこの庭園がいかに美しいか、大声で語りかけずにいられない気持ちだった。彼はまた、樹にも、花にも、動物にも、鳥にも、小川の流れにも、丘にも、野原にも「おまえたちは、ほんとうに美しい。おまえたちがありのままの姿でそうしているというだけで、人間には喜びを与え、神様には十分に感謝をささげていることになるのだ」と語って聞かせたかった。

きのうも、きょうも、明日も、彼にはなんの思いわずらいももたらさなかった。キリストがおられ、すべてはキリストのうちに、そしてキリストは父なる神のうちにおられるときに、なんの思いわずらうことがあろう。フランシスコの心になんのかげりもなかったのは、彼が素朴な楽天家だったからではない。そうではなくて、祈りと痛悔をとおして清められた彼の心が、神以外のなにものも重要ではなく、ただ、神の中に、神とともに、神をとおしてのみ、すべての物に意味を見いだすリアリストの心になっていたからである。彼の目には、神があらゆる所におられ、その現存によって被造物は力と栄光でみたされ、すべてが美しく善いものとして光り輝くように見えた。

 神は存在するすべてのものに触れ、すべてに命を与えたもう。                   「フランシスコの旅と夢」より 

 10月の師聖フランシスコの祝日をふり返りながら、人と自然との絆を深めていきたいです。過ぎゆく季節と来たるべき季節の中で、人と出会い自然と出会い共に神に感謝と賛美をする日々でありますように。

bottom of page