私の戦争体験から、「平和への思い」
中村 道生神父
77年前、私の故郷、福岡もB29の空襲を受け、焼夷弾で火の海となり、4k離れた母の実家の疎開地から真っ赤になっている福岡の空を見たのを今でも鮮明に覚えています。
その日、私の家は焼かれ、父は全身火傷を負って、母の実家に帰ってきた姿を見て怖い思いをしました。
私のすぐ下の妹はこの年の5月に、はしかで亡くなり、その後生まれた末の妹も昭和23年に日本脳炎で亡くなっています。「食べ物もあり治療も受けられていたら助かっていたのに」という思いがあります。
日本が経験した77年前の出来事が、今のウクライナや北朝鮮の状況と重なり、いたたまれない思いです。さらに、8月3日、ナンシー・ペロシ米下院議長の台湾訪問を受け、中国の習近平指導部は、台湾を包囲した「重要軍事演習」を強行し、弾道ミサイルを相次ぎ発射しました。ウィキペディアによると、『「台湾海峡危機」は、1950年代から1990年代にかけて中華人民共和国 (中国大陸)と中華民国(台湾)の間での軍事的緊張が高まった事件の総称で、今回は4度目』とあります。中国軍で台湾を担当する「東部戦区」は「常態的に台湾海峡方面への戦争準備、警戒・巡視活動を組織していく」と表明しています。こういう状況の中で私たちは平和のために何ができるのでしょうか。
こんな中、8月13日、札幌教区正義と平和協議会は、本田哲郎神父を招き、平和講演会を企画しました。多くの方がご存じと思いますが、本田師はフランシスコ会日本管区長を経て1989年より大阪市西成区あいりん地区(釜ヶ崎)で、日雇い労働者に学びつつ聖書を読み直し、また「釜ケ崎反失業連絡会共同代表」の役目を通して日雇い労働者の生活向上に取り組んでおられます。本田師は、講演のテーマにもなっている「『お大切に』の心と行動こそが世界に平和をもたらす」と、独特な語りで印象深く語られました。その中で、私たちの聖書の読み方の「視座」を変えることの必要性を強調されました。
講話を私なりに短くまとめました。律法学者やファリサイ派の人々のように聖書を読み、上からの目線で人々に教えるのではなく、イエスのように、貧しい人々、小さくされた人々の側に立つことこそが『お大切に』の心であり、生き方にほかなりません。『お大切』は、従来の聖書では、「私があなた方を愛してきたように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13,34)と、「愛」と訳されてきたことばです。
貧しい人々、小さくされた人々について、マタイ福音書は25章で具体的に述べています。「あなた方は、私が飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に服を着せ、病気の時に見舞い、牢獄にいた時に訪ねてくれたからである。」そして、続けてイエスの言葉を伝えています。「あなた方によく言っておく。これらの私の兄弟、しかも最も小さい者の一人にしたことは、私にしたのである」。
今、私の置かれている場で、「視座」を変え、悔い改めて福音を生きること、平和の道具となることが問われていると感じています。