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自分の出来ること

山本 孝神父

 もう今年も半分終わりました。先日聖母月に入ったと思っていたら、聖霊降臨祭を終え、もう6月み心の月です。6月はわたしの人生にとって大事なことがあった月です。

25日は誕生日です。今年は75歳になります。

亡くなられた戸田神父さんが、自分はもう後期高齢者だとよく言っていました。わたしはいつも「うちの修道院には高貴なお方がいらっしゃる」と冷やかしていました。自分がその年になりました。

 子どもの頃、母から聞いた話では、なんでもわたしの誕生日は実際にはもう少し早かったらしいのです。父は田植えの時期で忙しかったので、役所に出生届けを出しに行ったら、産まれてから二週間以内に届けることになっていたので、わたしの誕生日は少し調整して25日にしたらしいです。実際の誕生日は聞く機会が無かったので知りません。とにかく届けられていたから親には感謝です。6月11日はその父の命日でした。わたしが高校2年の時脳卒中でひと月ほど入院して亡くなりました72歳でした。

父の死後いろいろ考えることがあって、キリスト教と出会い、夏休みが明けて二学期が始まってカトリック教会に初めて行きました。翌年の4月には洗礼を受けました。1965年のことです。さらにその翌年の6月9日は、司祭になりたいと召し出しを感じた日です。洗礼を受けた翌年の3月に、堅信を受け、4月からは大学生で親元を離れ、幸いにその街の教会の近くに下宿が見つかり、毎朝ミサに出ることができるようになりました。そして6月9日に大学に通う坂道を登っている時に「司祭になりたい」と思い付いたのです。

 その日は嬉しくて、学校の帰りに教会に寄って主任司祭に自分の感じたことを報告しました。しかしその時は何故司祭になりたいがは説明できませんでした。その日は木曜日でした。そしてその次の日曜日には、「生きている間に一番神さまを喜ばせる仕事が司祭だから」司祭になりたい理由を思いつきました。この時が1966年でした。司祭叙階はこれから10年後の1976年でした。

教会と出会うきっかけになった父の死と、神様のために働きたいと感じたのが共に6月です。

今年の6月からは様々な価格の上昇があり、生活が苦しくなったと。消費者も音を上げています。

わたしは目を上げて「自分は何か出来るか」をしっかり考えていこうと思っています。

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