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もっともっと亡くなられた方々を思いだそう

長尾 俊宏神父

  じぶんがうまれてきて あえた人もいれば しらない人に これからもあっていくのでしょう。しらない人にめぐりあえるでしょう。しらない人にあえていっしょになると その人はわかる。(いのちおわるとき 森 勝見)

 

  カトリック教会は11月を「死者の月」として特別にこの間死者のために祈るようすすめています。私たちは「キリストのうちにいこうすべての人」、また、「神だけがその信仰を知っておられたすべての死者」、また「神のみむねに従って生活し、今はこの世を去ったすべての人」を思い起こします。修院でも教会でもそんな話題が多くなります。ここの修院の食堂でも年のせいか、そんな話題が多くなって来ています。

  今回はなつかしい札幌修道院の話です。

あのやさしい、おじいちゃんのゼノ神父様!かの有名な武宮神父様が修院に来る日は、「こまった、こまった」と云って修院を歩いていたそうです。あの早口でまくしたてられたら、ゼノ神父様なんか話すひまもなかったのかもしれません。「昔の修院の食事は軍隊よりひどかった。どうして、おれの所まで食べ物がまわってこないんだ!院長はどこを見ていたんだ!」故パウロさんの昔話によく出て来る話でした。この食べ物の恨みの話が出るたびに大笑いになります。そのまわさなかった本人も一緒に大笑いしています。故宗太郎神父様、故ピオさん、トマさん、故パウロさんと何十年も一緒に生活して来た仲間たち、どんなに沢山の思い出があるだろう!あえた人、これからもあっていく人、これからもめぐりあえる人、そして、その人をわかっていく。

  主イエズスはその愛の神秘によって、この世を去った兄弟たちと私たちとを互いに結び、ミサによって、私たちと一致させてくださる。また煉獄から救われる霊魂は、自分の恩人のために祈り、強く清く生きるための力とよい臨終をとげるための恩恵を取り次いで下さる。死者の月は私たちに大きななぐさめと希望を与えてくれる。私たちに出会った故人たちは、聖パウロのように「私がキリストにならったようにあなたたちも私にならいなさい」と私たちをはげましてくれる。

この世のいのちおわるときまで私たちの毎日が天の住人との交わりの中で生きていくことが出来るならどんなにすばらしい一生だろうか。