「両手をひろげて」

山本 孝 神父

 みなさん主のご復活おめでとうございます。復活祭が終わると間もなく雪も消えて、春が感じられますね。

4月末からはGWが始まります。

 わたしは2年前の4月29日に、ビアンネ会での朝ミサの後で救急車で運ばれ、入院しました。ちょうど平成から令和に代わり新しい時代に入った年でした。今年は令和3年になるので、もう3年経ちました。最近は時々ミサを手伝わせてもらえるまで、回復しました。でも車椅子で片手でのミサになりました。歩くことと両手を使うことが難しくなりました。片手しか使えないと不自由なことが結構あります。ファスナーの開け閉めや上げ下げが、出来なくなりました。また紙を押さえることができないので、字を書くことが難しくなりました。紙が固定され、滑りの良い筆記具でなければ字が書けません。果物の皮を剥くことや茹で卵の殻を剥がすこと、片方の押さえが効かないと、ビンやペットボトルの蓋を開けること、タオルや雑巾を絞ることなどは思うようにいかなくて、イライラすることがあります。本を読むことや、祈祷書を開くことも、両手が使えないと、すぐ閉じてしまい不自由です。

 失ったことを悔やんでも始まりません。片手でも出来ることはまだたくさんありました。食べること、衣服の脱着も、トイレも一人で出来ます。何よりも、ロザリオの祈りは片手でも出来ます。また右足だけで車椅子をなんとか操作できます。ミサは片手が上がらないので、両手を使う動作が出来なくなりました。

でも決して手抜きではないので許してもらえると思っています。片手間や手抜きのミサではありません。両手を上げて「主はみなさんと共に」と言いたいです。

仏教詩人の坂村真民さんの「花ひらく 心ひらく 道ひらく」という詩集に「両手の世界」という詩がありました。「両手を合わせる 両手で握る 両手で支える 両手で受ける 両手の愛 両手の情 両手合わしたら 喧嘩もできまい 両手に持ったら 壊れもしまい 一切衆生を 両手に抱け」また「朝に夕に」という短い詩がありました。「守られている ありがたさよ 生かされている うれしさよ 朝に夕に 手を合わせよう 感謝のまことを ささげよう」

わたしは片手になりました、でも手が動かなくなっても、感謝のために手を合わせ、キリストの代わりに、出来る限り、手を上げて祝福していきたいなと願っています。