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キリストが不平をもたらされた⁈

I(We).C.U. 私は(私たちは)、もっと出来る

 

 

長尾 俊宏神父

 

今回は聖フランシスコの小さき花から、『キリストが、兄弟レオに兄弟たちについての不平をもらされたこと』の話しを紹介します。

ある日のこと、主イエズス・キリストが聖フランシスコの伴侶である兄弟レオに向かって、「私は、兄弟たちのことを考えると、悲しくなります」と仰せになりました。そこで兄弟レオは、「主よ、なぜでしょうか」とおたずねしました。すると、主はこのように仰せになりました。「それは三つの理由からです。

すなわち、彼らは、あなたも知っての通り、わたしが、彼らに惜し気もなく与え、また、日毎にあふれるばかりに授けつづけてきた、わたしの賜物を気にもとめず、しかも、その間、蒔きもせず、刈り取ることさえしないのです。つぎに彼らは、一日中なまけ、しかも不平ばかり言っています。

その上、彼らは、何かというとお互いに腹の立つようなことばかりして、愛し合うなどには頓着せず、自分が受けた仇を忘れようとしません。」聖フランシスコをよく観察してみると、かれは兄弟たちに、ただ物乞いによってだけ生活することを決して要求しなかった。むしろ、働くことを命じた。誰もが働くべきである。つまり、畑、大工の仕事場で、病人のために、重い皮膚病の人のところで、どこでもいいから他人を助けるべきなのである。

それは『怠惰は魂の敵』ということだった。惜し気もなく与えているのに、それを気にもとめられず、不平ばかり言われて、お互いに腹の立つことばかり言いあっているのを見て、キリストは不平をもらされるのかな!?こんな私たちだけど、やっぱり主について行きたいし、「私について来なさい」と主は呼びかけてくれる。

こんな私たちの共同体が神のみことばの上に建てられ、秘跡の恵みによって養われながら、ミサの中で共に祈り、助け、助けられ頑張って行きましょう。

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