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コロナの禍の中で、「イエスのみ心」に思いを馳せる。

ご復活明けの4月15日、狩勝峠を超えて希望と不安の中で旭川に来ました。78歳になってからの新しい任地への転任は、ただでさえ物覚えの悪い私には心配な事でしたが、新しい出会いには大きな楽しみがありました。しかし、新型コロナ感染症の自粛要請のためになかなか皆さんとお会いできず二ヵ月が過ぎてしまいました。それでも、5人の兄弟で一緒にミサを捧げ、教会の祈りを唱え、そしてなによりも嬉しかったのは三度の食事をみんなと楽しくできたことです。ちなみに、帯広では2年間ずっと一人での食事でした。もちろん、主日のミサは最も素晴らしい食事ですが、それに平日はカルメル会の姉妹方とミサと祈りを共にできたのは私にとって大きな霊的恵みでした。

ところで、新型コロナは世界に大きな被害をもたらし、現在もまだ終息したわけでなく、いろいろと不自由な生活を強いられていますが、私たちの生活を見直し、反省すべき点も見えてきたように思います。テレビや新聞は2か月以上コロナの負のニュースを伝え、経済面の復興をどうするかばかりを伝えていますが、新しい発見や気付きもありました。

皆さんも“WEB会議”をご存知だと思います。すでに体験されている方もおられると思いますが、5月26日に、「カトリック札幌正義と平和」の総会が行われ、私もZOOMで参加しました。さらに6月3日~4日にはフランシスコ会旭川地区の集会があり、村上管区長は東京の本部からテレビで参加しました。これもコロナがなければ考え付かなかった事だと思います。WEB会議は旅費と時間の大幅な削減になりました。「カトリック札幌正義と平和」で6月20日に予定されている講演会も、この度の新型コロナウイルス感染拡大防止と安全を考慮し、オンライン(ZOOM)という方法で行うそうです。講師の小野有五さん(行動する市民科学者の会、カトリック小野幌教会信徒)は、自宅にからパソコンを通して、「泊原発:見えてきた廃炉への道すじ」を発信されます。おそらく、ユーチューブでも公開されることと思います。

コロナによる自粛規制がもたらしたもう一つ利点に自然環境の改善があります。インドではガンジス川がきれいになり、北京の空が澄み渡り、タイではジュゴンの群れが戻って来たそうです。今の日本政府は、コロナ対策の一つとして「経済の復興」を大きな目標にしているようですが、果たしてそれだけでいいのだろうかと疑問に感じています。1995年に阪神淡路大震災に見まわれた時、大阪教区は被災からの単なる復旧(以前の状態に戻る)ではなく、被災地、しかもその中で特に「谷間」におかれた人たちの心を生きる教会となり、社会の隅々にまで福音をゆき渡らせることのできる、21世紀に向けた「刷新された教会」づくりを目指しました。

6月の「みこころの祭日」の福音で、イエスは、天の父を讃えて祈られました。「これらのことを知恵のある者や賢いものには隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです。父よ、これはみ心にかなう事でした。」と。そして、「疲れた者、重荷を負う者は誰でも私の所に来なさい。」と招いておられます。このコロナの惨禍の中にあって、私はいま、「イエスのみこころ」の思いをしっかり受けて生きていきたいと願っています。

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