
「兄弟的共同生活」
美架得留 間野正孝
旭川に来て10数年。この期間色々な兄弟とここ神居修道院で共に共同生活をしてきました。
最初は鈴木神父様と渡辺神父様。私にとってお二人は道産子の大先輩で旭川市内の共同宣教司牧の先駆けとして1から教えていただいた兄弟でした。いつもお二人は時間が合えば修道院内を歩いている姿がとても印象的でした。
韓国のチェ神父様。韓国人であるため日本人の私とは感覚や宣教方法やとらえ方が多少違っていましたが青年たちに対する熱意や情熱はとても凄く特に身体を動かすスポーツに関してはバイタリティーがあった兄弟でした。
ヨセフ神父様。何十年のアフリカ宣教から旭川へと兄弟としてやってきた彼は、アメリカ人独特の性格や雰囲気の持ち主で自転車やバイクに乗って颯爽と市内を飛び回っていた姿が印象的であり流暢な日本語を話すとてもユーモアある兄弟でした。
ドミニコ神父様。宣教師として旭川地区のために何十年と一人で小教区司牧をしてきましたが、数年前に神居修道院での兄弟生活を選び日々兄弟として共に生活し、石浜さんが帰天された後も気丈に人に頼らず自分の身の回りの出来ることを進んで行っている兄弟です。今年96才、頭が下がります。
戸田神父様。フランシスカン霊性や信徒の霊性、信徒に祈り方を伝える事を大切にして、数年前に自動車の運転を自ら止める決断をしました。信徒や修道士にとてもお願い上手な兄弟です。
山本神父様。典礼をとても大切にしていて、お体が不自由であるにもかかわらず、自動車の運転が大好きで道内どこへでも出かけていた兄弟です。修道院生活することを望み、現在、病院、施設で辛いリハビリに励んでいます。
曽根修道士。おっとりのんびり屋であるが修道院内外の仕事を一生懸命こなし典礼の準備や暖房、ベッドメーキングや食事の準備、夏は暑い中、庭仕事を黙々と行う人目につかないところで頑張る兄弟です。
阿部神父様。私にとって唯一の後輩で入会当時から寝食を共にしてきました。お願いした仕事はきちんとやってくださり助任以上の仕事を市内においてやってくださる頼もしい兄弟です。
このように年齢、国籍、性格の違いはあれど同じフランシスカンとして共に神居修道院で兄弟的共同生活をしてきた、又はしている兄弟達に感謝です。
他にも沢山の兄弟達が旭川地区において信徒の皆さんと共に司祭、修道者として関わりをもっていただいたことに感謝すると共にこれからもよろしくお願いします。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
