今も、死を迎える時も
中村 道生神父
教会は10月を「ロザリオの月」と定めていますが、ロザリオの祈りが、教会で親しく唱えられるようになったのは、聖ドミニコ(1170~1221)が異端と戦っている時、聖母マリアからの啓示を受けたのが始まりだとされています。そして、10月を「ロザリオの月」と制定されたのは、レオ十三教皇(在位1878~1903)勧めによるものでした。さらに、歴代の教皇も、「ロザリオの祈り」にたびたび言及し賛えています。
ピオ11世教皇(在位1922~1939)は、「われわれが神の御母に向かって唱えるいろいろな、そして有益な祈りのうちで、聖なるロザリオは特別な、きわめて主要な地位を占めていることを知らない信者はない」と回勅でいっています。
また2002年10月16日に教皇ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を発表され、「喜び、苦しみ、栄えの神秘(玄義)」に「光の神秘」を加え、この祈りを通してより豊かにイエスの生涯の神秘に触れることができるようになりました(カトリック中央協議会・ロザリオの月参照)。
私は、「ロザリオの祈り」に、洗礼を受ける前から親しんできました。友達に初めてカトリック教会に連れてこられたのが5月の聖母月でした。彼に誘われるままに毎夕がた、教会の「ロザリオの祈り」に参加していました。また、10月のロザリオ月にも毎日祈りに参加して、11月1日、諸聖人の祭日に洗礼を受けさせていただきました。この教会は司教座聖堂でしたので、主任司祭のほかに、二人も助任司祭がおられ毎朝ミサが捧げられていました。敷地内には古い聖堂があって、学生が数名、ただで下宿させてもらっていました。条件が一つあって,前晩に祭服などの準備をすることと、毎朝ミサに出て侍者をすることでした。長崎や、熊本などから来た信者の学生などが、よく下宿していました。有り難いことは朝食も神父様たちと一緒に食べさせていただいたことです。私の家は教会から歩いて5分ぐらいなのに、しかも、まだ洗礼も受けていないのに無理に下宿させてもらいました。
私の家は小さな酒屋をしていたのですが、その手伝いもせず、大学もよくさぼっていたので、私は兄に、「お前はカトリックの信者でなく患者だ」と言われていました。
11月は「死者の月」と言われ、親しい故人のために祈るとともに、自分自身の死を思いめぐらす時とされています。私たちにとって大切なことであり有意義なことだと思います。
「アベマリアの祈り」にも、「今も死を迎えるときも...」と祈りますが、しかし、死者のために祈り、また自分の死を思うことがどれだけ信仰と繋がっているか、即ち、復活されたキリストが、「今」そして、「死を迎える時も...」共にいてくださるという、生き生きとした信仰につながっているかを思うと、自分の祈りにちょっと疑問を感じることがあります。
兄が言う通り「患者」みたいな歪んだ信仰ですが、しかし、神の側からの救い、キリストの福音、聖霊の働きを考えると光が見えてきます。聖書ははっきりと語っています。「神は独り子をお与えになるほどにこの世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく永遠のいのちを得るためである。
神がおん子をつかわされたのは、この世を裁くためではなく、おん子によって救われるためである(ヨハネ3,16~17)。さらに、聖パウロはロマ書8章で、「神が私たちの味方であるならば誰が私たちに敵対できますか。私たちすべてのためにそのおん子さえ惜しまず死に渡された方...人を義としてくださる方は神です。誰が私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて私たちのために執り成してくださるのです。」と述べています。
マザーテレサも高山右近も真面目に努力して生きてこられたから、天国に迎えられたのではありません。神の愛、恵みによってその交わりに入れられたのです。
聖人や殉教者は神の愛を信じ、恵みを体験し、それを証しした人たちです。私たちもみんな、神の交わりに招かれているのです。
ですから、11月を「死者の月」とせず、神の救いの恵みを感謝して祈る、「諸聖人」の月と考えたらどうでしょうか。