
一冊の本との出会い
山本 孝 神父
先日の春分の日、わたしは札幌で行われた司祭叙階式に参加してきた。簑島克哉新司祭は35歳のとき、帯広教会でナルチゾ神父から洗礼をうけ、4年後に日本カトリック神学院に入学、今年2月に卒業した44歳の新司祭だ。彼はナルチゾ神父から、「司祭になる気はないか」と誘いを受けたそうである。
わたしは、自分が召し出しを感じたころや、自分が司祭になったころのことを考えてみた。わたしの洗礼は18歳の時、司祭叙階は29歳の時だった。司祭になりたいと初めて思ったのは、昭和41年(1966年)大学1年の6月9日だった。それは誰かに勧められたわけではなく、一冊の本に出会ったからだ。
その本は、小樽の富岡教会の図書にあった『ちいさき花 聖女小さきテレジアの自叙伝 ブスケ訳』だ。この本には(ASANUMA)とサインが入っていたので、以前、富岡教会にいた浅沼昭三神父の物だったと思われる。茶色く変色したその本は、昭和16年発行で定価は1円だった。
これは日本で最初に紹介された聖テレジアの自叙伝で、この本の翻訳者のシルベン・ブスケ師は、パリ外国宣教会に入会して1901年に司祭叙階され、すぐに大阪に派遣された。かれは日本に来る直前にリジューのカルメル会修道院に祈りの依頼に行き、そこの修道院で4年前の1897年に24歳で亡くなっていたテレジア修道女のことを知った。
ブスケ師は、テレジアの「ある霊魂の物語」を日本で「小さき花」のタイトルで明治44年(1911年)発行した。聖テレジアの自叙伝は世界中でベスト・セラーになり、彼女は1923年に列福、さらに1925年に列聖されている。1927年には聖テレジアは、宣教者の保護の聖人に、さらに1997年には教会博士の称号を与えられている。
テレジアの人気が高まったころ、彼女のファンだったコルベ神父もリジューに巡礼してから日本にやってきた。昭和15年(1930年)長崎で最初に発行した「無原罪の聖母の騎士」の創刊号には、聖テレジアの写真つき記事が収められ、また聖母の騎士修道院の聖堂にも聖テレジアの額が飾られていたらしい。
わたしはこの本を教会から借りて少し読んだだけで、信仰を持つことで世の中がちがって見えることに気づいた。
そして「生きている間、もっとも神さまを喜ばせるのは、神さまのために働くことだ。だから神父になりたい」と思った。わたしは以前、自分の召命について話したところ、ある方が富岡教会に行き、新しい聖テレジアの自叙伝と交換してきてくれた。
それで、この本はいまわたしの手元にある。聖テレジアの信仰を一言でいえば「隠れた平凡な生活の中でイエスを愛し続けること」だった。わたしは、これからも初心を忘れず、神さまのために働いていくつもりだ。みなさんも「リジューの聖テレジアの自叙伝」を読んで、この聖人の心に触れてほしいと願っている。
2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
