top of page

キリストの香り

                               山本孝神父

先日、洗礼―キリスト者になること、キリスト者であることーを特集していた古い「カトリック生活」をひらいたところ、渡辺和子シスターが2008年にある教会の教会月報に寄稿した「キリストの香り」という文章をみつけた。

わたしは渡辺シスターの本をほとんど読んでいるので、編集者が文の区切りにつけたと思われる、小見出しだけで、だいたいの内容がわかった。

その太く濃く印刷されている箇所だけを抜き出すと、「クリスチャンである私たちに期待されること」「いつも喜んで」「摂理のあたたかさ」「面倒なこと、煩わしいことを笑顔で受け入れて」「『せいで』ではなく『おかげで』」「キリストの香りを漂わせる人に」であった。

渡辺シスターは、毎日の生活の中に喜びと祈りと感謝を忘れないようにすることがキリストの香りを漂わせることになると言っている。

わたしたちは、いつも喜びを感じている幸せ人間ではない。すぐ腹を立て不機嫌な顔になることも多い。

何かの不都合が起これば、すぐに○○のせいと、他人のせいにしてしまう。

○○のおかげでと考える人はそこに感謝を見つけることができる。

わたしたちは、こんなはずではなかったという人生の穴を通して、もっと別の見方があることに気づくことができる。わたしは52歳で脳梗塞になった。

神はその穴を通して、わたしに最も大事な司祭の務めを分からせてくれた。

今では病気も神の摂理であったと感謝している。

6月号の「カトリック生活」にハンセン病患者に生涯を捧げた看護師・井深八重の記事があった。

彼女は過酷な運命のいたずらで、22歳の時にハンセン病の宣告を受け、神山復生病院に収容される。

1年後に別の病院で再検査を受けたところハンセン病でなかったことが判明する。しかし、そのままそこに残り、後に看護師の資格を取得し、生涯をハンセン病患者のために捧げた。患者たちに、友として母として寄り添い、すべては神のみ摂理と考え受け入れていった。

井深八重は「一粒の麦」として生きることを座右の銘としていて、彼女の墓には自筆の墓碑銘「一粒の麦」が刻まれているという。

人里離れた病院で69年間重い病気の人々と共に歩んだ彼女は、終生控えめで自分を語ることはなかったそうだ。井深八重はまさにキリストの香りを漂わせた人だったと思う。

bottom of page