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                            愛されるよりも、愛することを          

 

                                                                        

 
 これは聖フランシスコの「平和の祈り」として知られている言葉です。
人は愛されることを望みます。しかし、聖人は「理解されることよりも理解することを、愛されるよりも愛することを求めさせてください」と祈らせました。
フランシスコの歩みをたどると、「愛されたい」望みがあった事を知ります。
その価値観が変わります。
 
聖パウロのように馬から落ちた人のようです。乗っていた馬が軍馬だったので、この落馬は、たちが悪いと、ジョークを言った人がいました。
きっかけは荒れ果てた小さなダミアーノ聖堂で耳にした声、「私の家を建て直せ」でした。目に入って来たのが、十字架のイエスでした。
ヘルマン・ヘッセの「アウグストゥス」
ある家に男の子が生まれました。母はこの子をアウグストゥスと名付けました。彼女は息子の幸せを切に望んでいました。
そこにお爺さんが現われて「何でも欲しい事をひとつ願いなさい」と言った時、ためらわずに「この子が、みんなからも愛されますように」と願ったのでした。叶えられて、アウグストゥスは可愛い少年になり、イケメンの青年になりました。
誰からも愛されて王子様のように振る舞います。無感動になり喜びがありません。
とうとう自死を考えた時に、あの老人があらわれて言いました。
「実は、『お前が、どんな人からも愛されますように』と求められたのだ。私はそれをかなえてやった。その願いはお前を幸せにはしなかったようだ。
それで今度はお前に聞きたい。ひとつだけ、どんな願いでもかなえてあげよう」。
彼は「どうか私が、どんな人でも愛することが出来るようにしてください」願いました。
老人はうなずきました。
そしてイケメンは、人を愛さずにはいられないようになったのです。
人目を引く容姿も失い普通の人間になりました。意地悪されても、ひたむきに相手を愛したのです。
見るべき面影もないアウグストゥスでしたが、顔は喜びで輝いていました。
人々は、その顔の輝きに心を打たれるようになりました。アウグストゥスは幸せでした。
 
福音記者ヨハネは、イエスが「互いに愛し愛し合いなさい」と命令したこと、そして「私があなた方を愛したように」と言い添えて、「互いに愛し合いなさい」と命じたことを伝えています。
 
神はミステリウム・神秘、分からないもの、と神学校で教えられ驚きました。
それほどに「神は偉大、すべては神に造られた」お方なのです。自然神学では、人間の理性によっても神を認知できるとしますが、神学では恩寵(恩恵)によって認知するとします。
神はミステリウム・神秘、分からないもの、と神学校で教えられ驚きました。それほどに「神は偉大、すべては神に造られた」お方なのです。自然神学では、人間の理性によっても神を認知できるとしますが、神学では恩寵(恩恵)によって認知するとします。
神は偉大なゆえに、わからないもの、神秘・ミステリウムなのです。
しかし、もしも神が分かるとしたら、それは愛によってのみでしょう。
普段何気なく愛を感じるようなことがあると私は思います。
頭で理解しようとするのではなく、心で感じる「情解」ということばが昔あったと、教えられたことがあります。
頭ではなく心で感じる…武市八十雄氏のカトリック新聞記事で、昔、学びました。
偉大な存在に、ふと愛を感じることが出来ますように、そして「愛されるより愛することを、求めさせてください」と祈りましょう。
*「アウグストゥス」はヘルマン・ヘッセ、ドイツの文学者、ノーベル賞受賞者の作品より抜粋。
 
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