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8/8(金)の戸田神父様のミサ説教より

 今日の日を思いましょう。今日、新しい心で過ごしましょう。

△△△さんからご自分の生涯を感謝して、っていうご意向をいただきました。

私たちもそれに合わせましょう。

今日この日まで生きてきた、生かされてきたその恵みにご一緒に感謝しましょう。そして聖ドミニコ、改革者ですね。十二世紀後半ユダヤ派の反対にあいました。そしてドミニコ神父様の修道者としてお名前をいただいてますから、ドミニコ神父様の今を明日をその生涯を神の恵みで支えて頂けますように一緒に捧げましょう。

 

お説教

 皆さん、お茶、なさったことあります?

お茶席。

お茶席行きますと、にじり口って言うのがありまして、どういう風にして小さな入り口をはいるのか、あるいは床の間をどのようにして見て、鑑賞するのか、そういうのを教えられますね。手順、例えばししゃくで酌んで返し方まで。ですからうるさいですね。先生は手順を覚えること、型を整えることが大切だというんです。長い伝統をもった日本の文化には、色々なしきたり、あるいは手順、あるいはこうするっていう、それは私の内側を整えていくと思います。外側が整えられれば、内側もそれに関連してあるいは呼応して内側を整えていくと思います。

型は大切だと思っています。小さな事に拘らなくていいと思いますけども、大事なものは大事にするっていう姿勢が自然に教えられた伝統を守ろうとするんです。小さな事ですけども、私たち、十字架の印をするでしょう?中指でしますよね?聖水つけるときも。どの指でいいんじゃないんです。だんだん子どもが慣れてくると、チャチャッとやって、何やってんのかな・・・と思いますけども、でも洗礼の時のあの水を思い出される水を手にとってやります。

ギリシャ正教、ロシア正教はどうなんですっけ?縦はこうなんですけど、横はこうなんですね。それぞれに言い分があるんです。話しが長くなるのでいいませんが、要するに、しきたりとか作法とか手順は私の為ですね。最大のもの、それは従順ですね。

今日の福音の中に『私に従いなさい』ってかいてあるんですよね~『従いなさい』と書いてあるんです。『私に付いてきたい者はこうーこうー』『私に従いなさい』ですよね。その従う内容が自分を捨てるとか、自分の十字架を背負って、とかになっているの。

とっても厳しいでしょう?キリスト教、カトリックと言ってもいいと思いますが、厳しい一面、ここからも汲み取れます。それは別の言葉で言えばどのくらい本気ですか?っていう意味なんですよね。本気度っていうでしょう?ハイハイって、こう手を挙げて賛成しますけど、本気ですか?って聞いているんです。本気度なんです。

それが今日の言葉の中では、イエスの『私に付いてきたい者は』という条件です。最初の方の????預言も省略があるのでわかりにくいと思いますけども、預言者の言葉に従うって言うのが前提ですね。それに従わなかった時、どうなるかっていう事を少し恐ろしいとか、おどろおどろしいような情景描写で書いていますね。でも神様の本意は皆が救われることです。

生きている喜び、幸せ、一人ひとりに信じる自由、神のみ心の自由、行う自由、人を愛する自由っていう事を前提にして『従いなさい』とおっしゃっていると思います。

先ほども言いました通り聖ドミニコ、聖フランシスコの友人でしたね?この二人が十二世紀後半から十三世紀にかけて教会が刷新していきます。その聖人の堪え忍んだ苦労をほんの少しでも思ってみて、その聖人たちの本気度に今日倣いたいと思って奉納を準備しましょう。△△△さんから頂きました意向、良い意向だと思います。私が今日こうして生きている、生かされている事は神の恵みなんだと、年齢という節目を記念しておられますが、私も同じくこの年でこられた事を感謝して奉納したいと思います。

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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