
祈りって何でしょう№1
「事が起こった時」に人は祈ります。
あるとき幼稚園児のお母さんが、園長を訪ねて来て、子どもが学校へ行かないと言いだしたときの体験を話しました。子どもは幼稚園を卒業して小学校に入っていましたから、元園児のことになるのですが、学校に行きたくないという子どもに困ったとき、この母親が、ふと思いついてお祈りをしたというのです。
幼稚園での「マネッコの祈り」を思いだし、子どもの手を握り、「神さま」と言うと、子どもも「神さま」とまねをします、親子で神さまにお話をして「きょうボクに学校へ行く力をください、アーメン」と言いましたら、子どもが学校へ行きました。「お祈りって何でしょう?」と。
この児には、小さいながらに「行き悩む」事柄があったこと分かります。
「行き悩む」切実な経験がありませんか? 登校拒否や出社拒否は、青年期や中年期にもあります。事柄が、人を祈らせるのです。「その時が来たときに、私が言ったことを思い起こさせるためである」(ヨハネ16:4)
苦しいときの神頼みを笑うことが出来ません。危機は出会いの時です。そこに個人的な啓示もあると感じています。
真昼に象徴される順風満帆の時よりも、闇夜におぼつかない歩みをするときに、「居るよ、居るのよの神」(「エゴ・エイミ=わたしはある」)を感じるのではないでしょうか。
大事なことは、「気づき」にあると思います。
主は、インマヌエルの神です。
祈るような心の動きが、無意識の内にも働くように感じます。親は子どもが“家出”するとき、つまり旅立を見送る時に覚える気持ちです。
教師が生徒の卒業の時に感じる思いにもあります。
ヨハネの16章15節から、イエスの気持ちも知ってください。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解出来ない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」。
イエスの眼差しの中に、その瞳の中に、私の姿も映っています。
真理の霊に助けられて、さらに祈りを知ることが出来ますように。
聖霊、来てください!

2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」
今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。
美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。
教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。
それらへの取り組みは、
①被造物を大切にするためのミサを執り行う。
②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。
③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。
④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。 リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影
もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。
