
復活節第3主日
2025/5/4 山本孝神父
ヨハネ21.1-19(イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された)
今日の福音はヨハネ21章からです。ヨハネ福音書は20章で福音書がいったん閉じられて、この福音書が書かれた目的などが、記されています。フランシスコ会訳の聖書には21章はエピローグと書かれていて、[本章はガリラヤでのイエスの出現と、それに関連する出来事を述べたものである。おそらく、使徒ヨハネの弟子であった編集者が、ヨハネから聞いたことを書き加えたものと考えられる]と解説に書かれています。
マタイやマルコ福音では、復活したイエスが弟子たちにガリラヤに行くように命じています。聖霊降臨の時に弟子たちはエルサレムにいたことになっています。今日の福音で、イエスはシモン・ペトロに三回「わたしを愛しているか」と質問して「わたしの羊の世話をしなさい」と言われます。
わたしは昔、神学生の頃に、ギリシャ語を知っている神父さんから、イエスがペトロに「わたしを愛しているか」と言われた言葉は一回目と二回目は、ギリシャ語の原文では、アガパオーという言葉で「わたしを愛するか」と聞きました。しかしペトロはもっと軽いフィレオー(好きです)という言葉で答えています。三度目にイエスはペトロの使ったフィレオーを使って質問して、ペトロはやはり同じ言葉で答えています。という話を聞きました。イエスがペトロのレベルに合わせて訊いていたのです。
わたしたちはギリシャ語がわからないので日本語に訳された「愛しているか」しか分かりません。ペトロはイエスの受難の時に三回イエスのことを「知らない」と言っていたので、同じく三回「愛しています」と答えて、心の重荷が降りたと思います。イエスは三回ともペトロに「わたしの羊の世話をしなさい」と言われています。ペトロはローマで殉教して、初代のローマ教皇と言われています。
先日4月21日に第266代のローマ教皇フランシスコが88歳で亡くなりました。わたしはたくさんの人たちから愛され、尊敬された素晴らしい人だったと思います。最近は自分たちさえ良ければいいと考えて、物事を押し通す指導者が多くなってきています。そんな中で、いつも福音や神の教えの立場で発言しておられた教皇様でした。弱い人、貧しい人のことをまず考え、地球環境や平和についてもたくさん発言しておられました。
わたしはローマ教皇のことで、以前に観たクォ・ヴァディス(Quo Vades)という映画を思い出しました。「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行かれますか?」という意味で、(『ヨハネ13.36』からの引用)です。これはポーランドの作家シェンキェヴィッチが『クォ・ヴァディス』という小説を書いたものを映画化したものです。皇帝ネロの迫害が起こったローマから逃げようとしているペトロが街の門のところにくると、アッピア街道の向こうから主イエスがやってきます。ペトロはびっくりして「主よ、どこに行かれるのですか( Quo Vades Domine? )」と尋ねます。主は「もう一度十字架に架けられるためにローマに行くのだ」と言い、主の幻がそこで消えるのです。ペトロは深く恥じ、引き返して、処刑されます。そのとき、ペトロの願いによって彼は逆さに十字架につけられた、といわれています。
これらの話は作家シェンキェヴィッチの完全な創作ではありません。「ペトロ言行録」といわれる新約聖書外典に詳しく載っているものです。
なお、この小説のポーランド人の作者シェキェヴィッチ、ノーベル文学賞を受賞している作家だそうです。使徒ペトロはローマの最初の司教です。そしてその後継者がローマ教皇になります。フランシスコ教皇の次の教皇を決める会議(コンクラーベ)が5月7日から始まります。
わたしはフランシスコ教皇がたくさんの人たちから慕われたように、新しい教皇が世界中の人々から尊敬され大切にされる人物になって欲しいと願っています。自分が世界の指導者などと思い上がっている人たちに、はっきりと愛とは何かを説いて欲しいと思います。紛争地だけではなく、アメリカやロシアに行って、神が何を人間に求めているかを話してきてくれる強いしっかりした人物が選ばれて欲しいと願っています。これからは新緑のさわやかな季節で聖母月です。わたしたちは、聖母がよいリーダーを選んでくれるようにお願いしましょう。*(Ka)