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四旬節第3主日

 

 山本孝 神父

ヨハネ2.13-25 (わたしの父の家を商売の家としてはならない)

 

 今日の福音の箇所は「宮きよめ」と呼ばれる箇所です。ヨハネ福音書ではイエスが宣教活動の初めの頃に、エルサレムに行ってこの乱暴な行ないをされたようです。他の福音書ではイエスの最後の頃の行ないのように書かれています。神殿の境内で生け贄の動物や両替の商売をすることは神殿当局からは許可を得ていたようですが、イエスはお金儲けのために、祈る人の気を散らしていることに我慢ができなかったみたいです。 

わたしは先日、アルスの聖ビィアンネーの説教集から四旬節の第1主日の説教を読みました。彼はその日、誘惑について話しました。『何事にもおいてもわたしたちの良い模範であられた主は砂漠で悪魔の誘惑を受けました。立派な兵士が戦闘を恐れないように、立派な信者は誘惑を恐れてはなりません。最大の誘惑は誘惑がないことです。誘惑は天国のために蓄える収穫の時です。刈り入れの時期のようなものです。‥‥悪魔が誘惑するのは罪から抜け出そうとする霊魂と恩寵の状態にある霊魂とだけです。

ある時ひとりの聖人が修道院の前を通りました。その時たくさんの悪魔が修道士を責め苛んでいるのを見ました。しかし彼等は修道士たちを堕落させることは出来ませんでした。

次にこの聖人はある町を通りました。すると一匹の悪魔が座って、腕を組んだままで群衆を動かしていました。そこで聖人は悪魔に尋ねました。「一握りの修道士たちを責め苛むためにあんなにたくさんいながら、大きな町にはたった一匹なのはどうしたわけかね。」すると悪魔が答えました。「町にはわたしだけで充分だ。あそこの人間どもは、怨みや邪淫や飲酒癖にすぐ陥りやすい。ところが修道士どもは手ごわい」と答えました。』

 先日、わたしは那須のトラピスチンの院長さんから手紙をもらいました。このかたの洗礼名が2月10日が祝日のスコラスチカだったのでわたしはしばらくぶりにお祝いの手紙を出しました。このシスターはわたしが板橋教会にいたころ、渡島当別のトラピスト修道院からの紹介状を持って教会に来た洗礼志願者でした。洗礼は私の後の司祭から受けたようです。わたしが北海道に戻って来てから何度か北海道に遊びに来ていました。洗礼を受けたあとで、彼女はトラピスト修道院に入会してそののち、修道院長なりました。わたしはそのシスターからの返事をもらい嬉しくなりました。その手紙の中に『わたしは毎日朝4時の夜課(教会の祈り)が始まる前に、恩人の山本神父様のためにお祈りしています。どうぞこれからも私のためにお祈り頂けましたら百人力です。」とありました。朝の4時に祈ってくれている人がいたことに驚きました。トラピスト修道院は朝が早いです。みんなの代わりに朝早くから祈っています。修道院では自分たちの救いのためにだけではなく、みなさんの代わりに祈る役目があります。その手紙をもらってから、自分も修道者として、人のための祈りをしっかりしなければいけないと思いました。病気の人だけでなく、教会から離れている人、いま祈りが必要な人がたくさんいることも考えて自分の祈りを見つめ直しました。

四旬節はもう一度考え直す時期です。これで充分ではなく、まだまだ不足しているから考え直す時です。自分の祈りと人に対する愛の行いや態度に手抜きや妥協がないかを調べてみましょう。

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