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秋深し 隣は何をする人ぞ  松尾芭蕉

戸田 三千雄 神父

 11月は諸聖人を記念する日から始まり、先だった人々を“偲ぶ”月です。「偲ぶ」。「人偏に思う」は祈りでもあります。教会の典礼暦では、2日を「死者の日」とし、“先だった”すべての「人」を記念します。

2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第に亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念し、7世紀初めに司教イシドロが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行うように指示したことによるとされています。

998年のクリュニー修道院院長のオディロンによって始められ、その修道院の修道士たちの影響によっていると聞きました。

また諸聖人の祭日の翌日に、すべての死者を記念する習慣は、11世紀には広く行われるようになった、と学びました。

 フランシスコ会では10月3日を“トランジトス(Transitus)”と言います。フランシスコの旅立ちを記念します。トランジトス、これを「帰天」とも呼びます。帰天、昇天、永眠、往生、大往生・近年は葬儀社も帰天という言い方の表現を用いています。

イエスさまは、昇天、マリアさまには被昇天、信者には帰天と言います。フランシスコ会ではフランシスコを記念して「トランジトス」という言い方をしています。

人には生まれた時があり、旅立つ時があります。

 

             「月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして 行きかふ年もまた旅人なり」

 

  松尾芭蕉の「奧の細道」の冒頭の言葉です。しみじみします。

 

聖書箇所:ヨハネによる福音書12:47-48

47「わたしの言うことを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは世を裁くためではなく、この世を救うために来たからである。

48わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。」

 

★ 臨終に際して行われる、いわゆる「私審判」に対して「公審判」と呼びます。神がその義にてらして人間の「思い、ことば、行い」を裁くことを、裁き、審判を言います。これが世界の終末に全人類に対してなされるときを「最後の審判」と呼び、カトリックでは各自の臨終に行われるいわゆる私審判に対して「公審判」と呼びます。      先に旅立った方々を「偲び」ましょう。

​2026年9月巻頭言「すべてのいのちを守るための月間」

 今年の夏、久しぶりに登山をする時間を得ることができました。最北の島である利尻島で利尻山に登りました。天候にも恵まれ素晴らしい天気の中、北海道で唯一と言っていいヒグマの心配をしなくてもいい登山は、心も体も浄化してくれるような良い祈りの時間でした。さすがに最北に位置する山らしく、他の山では6月頃に見られる高山植物が、今最盛期を迎えるように咲き誇り、厳しい自然の中にこそ生きる場所を見いだした、小さくも美しい姿に神様の創造の妙を感じずにはいられません。

 美しい自然の感動もありながら、その反面に容赦ない自然災害もまたわたしたちは直面しています。熊本の地震災害、千葉県や石川県での豪雨災害。片や地震と渇水に苦しみ、片や雨が降りすぎて流され生活の場を追われる。災害は今やどこでいつ起こってもおかしくない様相を示しています。北海道においても、火山活動が活発になり有珠山や十勝岳はいつ噴火してもおかしくない状況であるし、冬になれば今までは降っていなかった地域に大雪が降って都市機能が混乱することも。この自然環境の変化に、わたしたちはいったい何ができるのでしょうか。自然の驚異の前には、ただ指をくわえて見つめるだけしかない気もしますが、特に温暖化という現象の責任は人間の活動にこそあるということを知るならば、決して何もできないことはないのかも知れません。

 教皇フランシスコか日本を訪れた際に掲げられたテーマ「すべてのいのちを守るため」を受け、日本の司教団は、教皇回勅「ラウダート・シ」も踏まえて、毎年9月1日~10月4日(アシジのフランシスコ記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」を正式に定めました。地球温暖化や生物多様性の危機といった環境問題に向き合い、戦争を初め、人類のみならずすべての生命とのつながりを大切にして具体的な行動様式の変化などを促す期間としました。

それらへの取り組みは、

①被造物を大切にするためのミサを執り行う。

②生活様式を振り返る、エコロジカルな回心。

③AIを含めた、これからの環境に関するエコロジカルな教育。

④貧しい人々と大地の叫びへ耳を傾ける、です。           リシリブシ/利尻岳2026年8月3日撮影

もちろん、環境問題はこの期間だけ考えればいいものではないことは当たり前のことですが、それでも特にこの期間だけは心を向けて祈り、また行動することが大切なのだと、教皇様も司教団も考えているということです。ですから、それぞれの個人としてあるいは教会共同体として何ができるのかを考え行く月とできればいいのかも知れません。きっとわたしたちの日常や周りにも、多くの課題と取り組みを見つけることができます。子どもたちと自然の中で遊びながら、その土地固有の植物の不思議さを話したり、外来種の脅威を伝えたり。水や燃料を無駄少しでも無駄にしないようにすることだったり、何よりも、今の自然環境を神様が造ったことに感謝し、祈ることを伝えていくことが大切なのであろうと思います。戦争を含め人間の愚かさは自らを滅ぼしていくのかも知れませんが、また逆に神様の造られたこの世界を、元通りの調和の世界に導いていくことができるのも人間にしかできないことです。それを神様から任されていることを知り、取り組んでいくことが、人類皆で担うべき「十字架」なのであろうと思います。

             

 

 

                                            

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