マタイ21.33-43(神の国は神の国にふさわしい者に与えられる
山本孝神父
今日は10月の二回目の日曜日です。先週の日曜日に教皇フランシスコは正午のお告げの祈りの時、この月、ロザリオの祈りの素晴らしさを体験し、マリアと共にキリストの神秘を黙想し、教会と世界の必要のために聖母の取り次ぎを祈ろう、と呼びかけられました。わたしは先週の日曜日に幼いイエスの聖テレジアの話をして、ロザリオの月のことをはなさなかったので今日はどうしても話さなければと思っています。教皇さまは先週、ウクライナをはじめ、戦争に傷つくすべての地のために、世界の人々の福音宣教のために、そして今月開催される「共に歩む教会」をテーマとするシノドス(世界代表司教会議)総会・第一会期のためにロザリオを祈って欲しいと希望されました。
みなさんの家庭に、たいていカトリックカレンダーがあると思います。その中にその月の祈祷の使徒会の祈りの意向というのが書かれています。ご存知でしょうか。今月は、教皇の意向がシノドスで、日本教会の意向は福音宣教になっています。あまり意識する人がいないかもしれませんが、毎月教会が祈って欲しいテーマが書かれています。
わたしは信者の家庭で育っていないので、家族で何かを祈った記憶がありません。ロザリオの祈りは家族の祈りとも言われます。先週こんなメールをもらいました。
「ロザリオの月。小さな頃、ロザリオの月になると、夕方、毎回、いろんな信者の家に集まって、家庭集会をしてロザリオをしました。神父様もいらして、その後、お茶やお菓子を食べて、あまり遅くならないうちに帰ってくるの。私は夜、出歩くのが嫌いで、ロザリオの月が嫌いでした。」
わたしは羨ましく思いました。わたしが洗礼を受けたばかりの頃、教会でみんなで祈った時には、司祭のための祈り、洗礼志願者のための祈り、召命を求める祈りや聖母のご保護を求める祈りなどはいつも唱えていました。いまの教会では、みんなで声を合わせて祈ることがほとんど無くなりました。いまわたしは、たくさんの人からお祈りを頼まれるので、わたしはお願いの祈りばかりしているように思います。ロザリオの祈りでは、各玄義で神さまの救いのわざを考えるので、賛美や感謝も入ったバランスよい祈りができます。
女子パウロ会から「目からウロコロザリオの祈り」という本が出ています。ロザリオについて、分かりやすく解説されているとてもよい本です。著者はご受難会の来住(きし)神父さまです。わたしはロザリオの祈りをみんながもっと大切にして、その素晴らしさを味わってほしいと願っています。今日の福音の最後に、神の国はふさわしい実を結ぶ者に与えられるという言葉があります。
わたしたちが、最後に棺おけに入らてもらう時、腕に巻いてもらうロザリオを、生きている時もいつも手にしていたいものです。そしてロザリオが天国への通行証になるといいですね。