年間第16主日(ルカ10.38-42)必要なことはただ一つだけであるマリアは良い方を選んだ… 2022.7.17

 

 今日の福音でイエスは姉のマルタに対して「マリアは良い方を選んだ」と言い、マルタの不満に対しては、妹マリアの態度を庇うような発言をしています。明日7月18日はわたしの46回目の司祭叙階記念日です。1976年に札幌の北11条教会で富沢司教様から叙階されました。その時5人でしたが、いま司祭職に残っているのは3人です。わたしはもうだいぶガタが来ていますが、まだミサをすることができ、自分はより良い方を選んだと思っています。神さまから選んでもらって従っただけですが、ありがたいことです。

 

今日のマルタとマリアの姉妹とラザロの家族はイエス様の親しくしていた家族で、福音書では何度も訪問していたことが分かります(ヨハネ12.1-6、マルコ14.3-6)。マルタはしっかり者の良く動く人だったようで、妹のマリアは静かな落ち着いた性格だったみたいです。マルタはイエスと弟子たちのおもてなしに忙しく、ただイエスの足もとに座って話を聞いていただけの妹に腹を立てます。イエスはマリアの聞く姿勢に軍配を掲げます。神の言葉を聴くことを大事にしていないと、いちばん大切なことが何か分からなくなります。イエスは「裁いてはならない」の教えで「他人の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか」と言ってますが、まさにこれはマルタに当てはまります。

 

わたしはベタニアのマルタの家族がイエスが何度も訪問している、イエスの寛げる場所だったことを羨ましく思います。自分の心が、イエスの落ち着ける場所になれたらいいなと思います。

 

わたしは以前、美唄教会に丸太さんという一人暮らしの信者さんがいたことを思い出しました。この人はもう亡くなりましたが、マンフレード神父さんが、毎朝山登りしていて山で出会って教会に誘った方でした。また地中海にはマルタという国もあります。それから、自分はじっとしていられない性格だからと、洗礼名にマルタを選んだ信者さんを知っています。

 

いろいろ思い出しましたが、これからは、多くのことに思い悩み、心を乱すことより、あなたはより良い方を選んだ、と言ってもらえるような、神の言葉をよく聴く弟子でいたいです。*(5)